コルト Model 1911は、数々の近代火器を手掛けた非常に有能な人物「ジョン・モーゼ・ブローニング」による製品である。
コルト ガバメント 1911の歴史
このピストルは、それまで陸軍制式採用されていた.38リポルパーが、パワー不足による問題を抱えていた為、新たに出した要望書に従うように設計された。
この要望書はパワー不足解消、6運射しか出来ない不満などが盛り込まれており、調査を命じられた「ジョンT.トンフソン大佐」(後のトンブソンサブマシンガンの発明者)と「ルイスA.ラ・ガルド大佐」の2人は、軍隊が適切な阻止力(マンストッビングパワー)を確保するためには.45口径のカートリッジを必要とする、という結諭に達した。
1905年、コルトのために働いていた「ジョン・M・ブローニング」は彼自身の設計による.38口径カートリッジを使用した、オートマチックビストルを発表していたが、新たに陸軍が、新型ピストルへの関心を示すと発表した時、ブローニングはこの.38口径オートマチックデザインを変更し、.45インチ直径のカートリッジを収容する改良を施した〈モデルオブ1905〉として完成させたのだ。
そして、評価のために陸軍次期制式ピストル採用トライアルに提出。
トライアルの過程は1906年にコルト、ルガー、サヴェージ、ノーブル、ベルグマン、ホワイトーメリル、およびスミス&ウェッソンによって、各々提出されテストが開始された。
1年後の1907年、トライアル最終過程でブローニングデザインと、サヴェージデザインが共に勝ち残ったが、両者共に安全面に於いて要望したスペックを完全にクリアーしておらず、米国陸軍はいくつかの改良点と、追加実地試験を強く求められる事となった。
サベージ社は、これらのトラブルを解決すべく、努力を重ねていたが良い結果が得られすにいたが、コルト社陣営の方はブローニング自ら〈M1905〉改良型モデルのテスト生産に立ち会うべく、試作生産を監督していたハートフォードに赴く。
そこで彼は熱意ある若いコルト技術員、フレッド・ムーアと出会い、共にテスト銃が完璧に作動するように生産された部品の調整と、改良をさらに押し進めていったのだった。
そして遂に、グリップセフティーを追加した改良型〈モデル1910〉を完成させて、再評価のために選定委員会に再び提出したのである。
最終耐久テストは1911年3月3日に行われて、テスト内容は各々の銃、6,000発の発射テストから開始された。100発撃って後5分間冷却 、1.000発毎後にきれいにクリーニングと注油がなされるが、撃発後6000発のカートリッジも回収されて、変形しているか検査を行う徹底ぶり。
十分な実射強度が実証されると、次には酸による(腐食テスト)と、砂と泥の中に沈められる(防塵テスト)がさらなる過酷な状況でテスト、銃を容赦なく痛めつける事となる。
そして〈M1910〉は、全テストステージを楽々とクリアーし、見事にトライアル優勢を確実なものとした。それは歴史上初の過酷なトライアルテストをパスした、軍用ハンドガンとして制式採用となったのだ。
1911年3月20日に公表された選定委員会レポートは、以下のように述べている。
3月29日に、最終改良型〈M1911〉は、米国陸軍の制式携帯用八ンドガンとして選択されて
〈U.S.pistol automatic caribar .45model of 1911〉と制式名称を与えられた。
採用から数年たった1920年12月にはスプリングフィールド造兵廠は〈改良型A1の要望〉をまとめてコルト社に提出、その内容とは….
- 1)トリガー後部のフレームの角を落とした(三日月型のフレームカット)
- 2)ラウンドタイブの採用で握り易くした(メインSP八ウジング)
- 3)よりコックがし易いように、短く・幅広の(ハンマースパー)
- 4)トリガーに指が届き易いように短縮化した(ショートトリガー)
- 5)射手の手をハンマーから保護する後部が長い(グリップセフティ)
- 6)さらに視認性が向上する、幅広の(フロントサイト)
これらの要望が盛り込まれた〈改良モデルA1〉が試作され、制式に1926年5月〈.45modelof7971A1〉として更新採用。
その改良プログラム終了後に第2次世界大戦が勃発、急激な需要を満たす為1942年からイサカ・ガン社などの火器メーカー、レミントン・ランド、シンガーMfg,ユニオンスイッチ&シグナルなど数社により、約1,270,000挺にのぼるライセンス生産ガバメントが製造されたのだ。
その総数は1945年の生産まで、コルト社も含めるとA1が、約1,896,000挺製造されているようだ。
但し、資料により製造数のカウントが異なる場合がある。
現代を生き抜く「ミリタリーガバメント」
興味深い事実として、1945年3を最後にアメリ力陸軍は一切〈M1911Al〉の制式発注を行っていない。
1983年以降も〈M92FS=M9/9mm口径ピストル〉が採用されていたが、特殊部隊で〈ガパ〉は未だ根強い支持があり、.45口径マンストッビング・パワーを絶対的に信頼する傾向が強く、昨今注目の〈近接戦闘〉がこの傾向をさらに助長している。
確認されている異例としては、1993年の(ソマリア/モガデッシュの戦い=ブラックホーク・ダウン)に参加していたデルタチームの〈カスタマイズド.45ピストル〉がある。
詳しい内容は判明していないが彼等〈D-Boys〉が使用するとなれば、それなりに手が加えられているモデルなのは明らかだ。
「一発で夕一ゲットを無力化できる」そのパワーは、現代のオペレーター(特殊部隊員)達のセカンダリー・ウェポンに最適ではなかろうか?
また’80~90年代に新たに編成された、アメリカ海兵隊 MEUの〈MEU.45ピストル/前期型〉は、1945年以前のガバメントのフレームを使用し、スブリングフィールド製スライドや、旧パーツを当時の最新型力スタムパーツに差し替えたカスタムモデルを、現在、イラクに展開中の海兵隊員も使用し続けているのが確認出来る。
最近では、さすがに老朽化が激しいのか、スブリングフィールドや、キンパー社などのフルスベックのガバメント・カスタムに交代しつつあるようだ。
ネイビーシールズは独自の思想に基づいて.45口径プラスパワー弾に対応する圏SOCOMMk23mod.0’を採用している
このように(数々の戦争と紛争)の長い時間、現役として使用できうる耐久性能を持っていると言う事実は、如何に〈M1911Al〉の初期設計が優れた名銃なのかを如案に表している。
近年、再び、近接戦闘で脚光を浴びている.45口径ハンドガン。
2006年には、新たな陸口制式採用ビストルトライアルが開始する予定があるが、はたしてこの〈名銃M1911A1〉に太刀打ち出来る〈新型.45口径ハンドガン〉が出現するのかは興味深い所である。
(東京マルイ ミリタリーガバメント説明書より)