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日本本土決戦とその体制

ミリタリーの歴史 0

日本政府が「日米の天王山」と呼号し、死守すべく全力を注いだフィリピン。 次第に戦況は悪化し、フィリピンの失うと、アメリカ軍の本土侵攻は時間の問題となりつつありました。 アメリカ軍の作戦はいたって単純で、B-29による爆撃や機雷投下により、 日本の戦争能力を完全に止めてしまうものでした。 アメリカ軍潜水艦の攻撃で多くの輸送船が沈み、マリアナ海戦とレイテ沖海戦で敗れた後の日本軍は、制海・制空権をアメリ […]

アメリカ軍の上陸と本土決戦

ミリタリーの歴史 0

太平洋戦争があのまま続けば必ず発生したであろう、本土決戦。 実際は沖縄戦の後、1945年秋に予定されていた本土上陸作戦が実行に移される前に、終戦を迎えたわけですが、実際に本土決戦が起きていたら、どのようなことになっていたのか。 今回は、本土決戦の可能性と予測されるさまざまな状況を推察してみたいと思います。 アメリカ軍は二段階の作戦を計画し、日本本土に上陸する計画だったことは皆さんもご存知かと思いま […]

特攻をしなかった芙蓉部隊

ミリタリーの歴史 3

昭和20年、残された戦力として温存された航空機は、「特攻」という常軌を逸した作戦に使用されることとなり、まともな訓練も受けることなく、離陸がなんとかこなせる程度の訓練を受けた若者が、沖縄、硫黄島、日本近海など、さまざまな場所で跳躍するアメリカ機動部隊に立ち向かって行きました。 既に日本軍には、一般的な航空作戦を展開できる力が残されていなかったのではなく、それを実践できる搭乗員がいなかったのです。 […]

改マル5計画と「幻の空母機動部隊」

ミリタリーの歴史 0

限りのある資源を使い、いかに戦力を増強するか。 太平洋戦争の最中、日本海軍はそのテーマと向き合い続けることになりました。 特に、1942年6月のミッドウェー海戦での敗北は、主たる戦力であった航空母艦4隻を一挙に失うという状況となり、自らが真珠湾攻撃、マレー沖海戦で立証した「空母こそ主戦力」という命題を、自らが解決せねばならない状況になったのです。 ミッドウェー海戦において航空母艦4隻を失ったことは […]

レーダー開発と民間と軍の関係

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日本海軍には伝統があり、それは「数々の訓練と、それに培われた経験に勝るものはない」という精神論だった。 精神論が現実の戦力を補うという、恐ろしい考え方が当たり前のようになるのは、戦争も終盤に差し掛かった1943年の夏ごろかもしれない。 ガダルカナル島の確保をあきらめて撤退するころから、日本軍の戦力は精神力をしても、どうにもならないことになっていった。 特に、日本海軍の立場でいえば、幾多となく繰り出 […]

連合艦隊最後の成功した作戦「北号作戦」とは

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1945年になると、連合艦隊の艦船の大半は、活動に支障をきたすようになっていました。 それぞれの艦船に被害があったわけではなく、単純に「燃料」がなかったのが、その原因。 既に日本本土にあるタンクには、ほとんど艦船用の重油は残っておらず、出撃するにも支障をきたすありさま。 むしろ来たる本土決戦のために、航空機の燃料だけは必死に確保しなくてはならないと、陸海軍で数少ない燃料の在庫を巡って喧嘩をする始末 […]

最後の連合艦隊旗艦「大淀」の運命

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みなさんは、連合艦隊「旗艦」と聞けば、大和や武蔵、場合によっては三笠(日本海海戦の時の旗艦)を思い出す人もいるのではなんでしょうか。 その名の通り、連合艦隊司令長官が乗艦する艦のことを指すのですが、太平洋戦争の最中において、この「連合艦隊旗艦」というのは、様々な変遷をたどっています。 最初は長門、そして大和、武蔵と日本海軍を代表する戦艦が連合艦隊旗艦とされていたのですが、戦況の変化に伴い、次第に「 […]

戦時標準船の誕生とその後

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戦争に勝利するためには、敵国より強い兵器を持つことも重要であることは、誰もが知っていることですが、その兵器を作るための資材、または兵器を動かすための燃料は「資源」という名のもとに、地球上のあらゆるところに存在する。 鉄、アルミニウム、ボーキサイト、ゴム、石油・・・これらはすべて、第二次世界大戦中に必要であったにも関わらず、日本が手に入れることができなかった資源でした。 戦争はただその場の勝利を収め […]

行われなかった「決号作戦」

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太平洋戦争も1945年に入ると、ほぼその趨勢は決定していた。 絶対国防圏と位置付けていた、マリアナ諸島は、1944年夏に陥落し、東シナ海の安全な護送船団の航行を、確保するためには欠かせない重要な地、フィリピンは1944年9月、アメリカ軍が逆上陸し、1945年1月には、フィリピンの中心地であるルソン島にアメリカ軍が上陸し、日本軍はマニラを放棄して、山岳でのゲリラ戦に移行しつつあった。 このことは東シ […]

零戦と知られざる技術

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 日本海軍の誇る傑作戦闘機と言えば「零戦」だが、一概に「零戦」と言えども、太平洋戦争の全期間で用いられていく中で、様々な改良が施されていった。「零戦」の歴史は、太平洋戦争の歴史ともいえる。今回はそんな「零戦」の変遷をクローズアップしてご紹介したい。 零戦の誕生  そもそも零戦がなぜ「零」と言われるかと言えば、採用された年度によるものである。 昭和15年度に正式採用されたのだが、これは日本が誕生し、 […]

信じられない日本軍の「特攻兵器」

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 太平洋戦争も末期になるころ、「一億総特攻」の名の下、日本の戦争指導者たちは、命を散らしてでもアメリカを中心とする連合国軍に一矢報いようと、様々な特攻作戦を企画立案しました。 いずれの作戦も、1人の命がなくなることを前提として、かつ1名の命で連合国軍の兵士を多く殺傷することを強いた作戦であり、後世となった今でもその作戦の是非が問われています。  大本営では真剣に特攻兵器の研究がすすめられ、かつて連 […]

間に合わなかった航空母艦たち

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1945年4月、沖縄にアメリカ軍が上陸し、ついに日本本土にまで戦火が拡大した。 ここまできてもなお敗北を認めず、一撃講和なる戦略をとっていた大本営は、沖縄防衛のために陸海空に及ぶ壮大な「特攻作戦」を展開した。 いわゆる「菊水作戦」の開始である。 菊水作戦の主となるのは、零戦から練習機「白菊」までをも投入した航空特攻。 既に有力な航空兵力はなく、ようやく離着陸が可能となった志願航空兵を特攻作戦に投入 […]