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最も原始的な現代兵器、手榴弾

2015年3月26日 ハルハク ミリタリー雑学

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現代においても、国家の正規軍はもとより果てはテロリストに至るまで、歩兵の標準装備として普及している手榴弾であるが、その起源はかなり古い

10世紀末に黒色火薬が発明されると、兵器として利用できないかの試行錯誤が行われるようになり、12世紀に中国北東部の金国において、陶器に火薬を詰めて導火線を取り付けた「震天雷」という投擲兵器が実用化されるに及び、実戦でも一定の効果を発揮するようになった。

後に南宋へと伝わると鉄火砲と呼ばれるようになり、さらには南宋と戦う過程においてモンゴルの元も鉄火砲を導入し、中央アジアのモンゴル系国家を通じて世界中に伝播するようになった。

日本においても、元寇(文永・弘安の役)において元軍が鉄火砲を使用したことが、記録や出土品からも判明している。

いわゆる「てつはう」と呼ばれる火薬兵器である。

爆発時に容器の破片が高速で飛び散ることで周囲を殺傷する、いわゆる破片効果の概念も既に生まれており、容器には破片効果を狙った突起物があしらわれるようになった。

鉄火砲系の炸裂弾は世界的に使われるようになったが、とりわけ盛んに使われたのは欧州である。

近世のヨーロッパでは、手投げ炸裂弾を投擲するのが専門の擲弾兵と呼ばれる兵科も誕生し、隆盛を極めた。

しかし手投げ炸裂弾の構造に根本的な改良が加えられることはなく、陶器や鉄の容器に導火線を取り付けただけの、鉄火砲時代とほぼ似たようなものであった。

ただし、導火線の改良によって性能はより安定したものになっていた。

しかし、射程の長いライフル小銃が開発されて広く普及し始めると、射程の短い手投げ炸裂弾は投擲に入る前に小銃の的になってしまうため、効果が急速に薄れて兵器として衰退していった。

今日、私たちが見る幕末がテーマの時代劇においても、手投げ炸裂弾が登場することがないのは、欧州では兵器として既に大きく衰退してしまっていたからに他ならない。

ただし、擲弾兵は相手に近接して手投げ炸裂弾を投げるという戦術の特性から、勇猛果敢な者が選ばれるため、手投げ炸裂弾が廃れた後も精鋭部隊の象徴として兵科の名前としては一部で残された。

近代に入り、再び手榴弾の先祖ともいうべき手投げ炸裂弾が登場するのは、20世紀初頭の日露戦争においてである。

日露戦争では旅順要塞の攻防戦において大規模な近代要塞に対する攻城戦が行われたが、当時は欧米においてでさえ近代要塞に対する効果的な攻城法は確立されておらず、周知のように日本軍は大きな苦戦を強いられる。

そんな中、コンクリートで固められた要塞を攻略するため、日本陸軍の工兵隊が茶筒や空き缶・空き瓶に起爆剤と火薬を詰めた兵器を現地で急造し、戦闘に使い始めたのが近代における手投げ炸裂弾の再登場である。

前代の手投げ炸裂弾と大きく異なるのは、黒色火薬よりもはるかに破壊力に優れた、ダイナマイト火薬に代表される近代的な火薬が使われたことである。

これにより、容積が小さくコンパクトなものでも、絶大な威力を期待することができるようになった。

また、導火線に頼るのは前代と同様であったが、起爆剤を取り付けるようになり爆発性能が安定するようになった。

この急造手榴弾はかなりの効果を上げたらしく、手を焼いたロシア陸軍も同じような急造手榴弾を作って対抗した。

旅順攻略戦は、両軍において本格的に手榴弾が使われた史上初の戦いとなったのである。

第二次世界大戦や現代戦と異なり、日露戦争のころは世界各国から観戦武官が多く戦闘を視察していた。

旅順攻略戦を観戦して手榴弾の重要性を悟った欧州各国は、さっそく急造ではない本格的な手榴弾の研究に着手することになった。

第一次世界大戦では、旅順攻略戦をよりスケールアップさせたような大規模な塹壕戦が繰り広げられたため、手榴弾は塹壕陣地や機関銃陣地の攻略に重要な兵器として認識されるようになり、導火線ではなく信管で爆発するタイプの近代的な手榴弾が開発され普及することになった。

今日我々が一般的にイメージするところの、パイナップル型やハンマー型の手榴弾が開発されたのもこの頃である。

近代的な手榴弾は、爆発方式において時限式着発式に大別される。

時限式は作動させてから一定時間が経過すると爆発するタイプのもので、安全性が高く第一次・第二次世界大戦から今日に至るまで、広く各国で採用されている方式である。

今日我々が戦争映画やアクション映画で目にする手榴弾はさしずめ時限式が多い。

なお、日本陸軍が採用していたのも時限式手榴弾で、太平洋戦争を扱った映画の自決シーンなどに登場するのは時限式手榴弾(九七式手榴弾)である。

時限式は標的への着弾から爆発までのタイムラグがあることが欠点で、最悪投げられた手榴弾を投げ返されることもある。

しかし投げ返せるということは、それだけ暴発の危険も少ないことを示唆しており、構造も単純で量産がしやすく、取り扱いがしやすい時限式は広く普及していった。

手榴弾は消耗品ということを考えると、量産性がよいということは大変重要なファクターであった。

着発式は、手榴弾の着弾と同時に衝撃によって信管が作動して爆発するタイプのもので、時限式と違い標的に着弾すれば即爆発するため投げ返される心配もないが、衝撃で信管を作動させるため、信管の精度によっては不発弾となったり、また逆に暴発するリスクもあるのが欠点だった。

とりわけ砂漠では柔らかい砂が衝撃を吸収するためか、信管の性能が鈍いと特に不発が多かったようで、第二次世界大戦の北アフリカ戦線では、イタリア軍の着発式手榴弾の不発弾が戦場で大量に転がっており、いつ爆発するか分からず危険極まりないため、枢軸国・連合国両軍ともに苦しめられたという。

信管の性能や機械工作の精度が向上した現代においても、着発式の手榴弾はあまり普及していないのが実際のところである。

また破片効果についても研究が進められ、破片効果が強すぎると投げ手が破片により自滅してしまうため、破片効果を小さめに調整した爆裂手榴弾も開発された。

逆に破片効果を強めた威力の高い破片手榴弾も開発され、こちらは陣地に籠もっての使用が前提とされた。

一般的に爆裂手榴弾が攻撃向き、破片手榴弾が防御向き手榴弾とされている。

第二次世界大戦の頃には、主要国は独自に手榴弾を開発して歩兵に標準装備させるようになったが、うまく投げても三十~四十メートルそこそこしかない手榴弾の投擲距離を伸ばすべく、日本陸軍では擲弾筒と呼ばれる手榴弾投擲装置を開発するに至る。

手榴弾を170メートル以上飛ばす能力を持つ擲弾筒であったが、後に手榴弾から専用弾薬を投擲する重擲弾筒へと発展。

太平洋戦争後に米軍が重擲弾筒の効果に着目したのがきっかけで、現代的なグレネードランチャーの始祖のひとつとなった。

このように時代とともに大きく構造も発展していった手榴弾ではあるが、一方では太平洋戦争末期には、資材不足から日本陸軍は備前・有田・瀬戸など全国の陶器産地に陶器製手榴弾を作らせたりするなど、前近代の鉄火砲をリメイクしたような手榴弾(ただし信管は近代的な時限式)も開発されており、今日において過激派やデモ隊が多用する火炎瓶も、手榴弾のガソリン版に等しい。

手投げ炸裂弾を始祖とするなら、手榴弾は歴史が非常に古い兵器であるが、爆発方式が進化した以外は既に誕生時から基本形が確立されていた兵器とも言える。

手榴弾は最も原始的な現代兵器と言うこともできそうである。

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