攻撃機Aシリーズ
アメリカでは陸海空軍、海兵隊の軍用機には、それぞれの役割と任務に応じて、英語のイニシャルを先頭に形式番号が振られています。
戦闘機であればFighterのイニシャルであるF、攻撃機はAttackのA、偵察、早期警報の場合はE、R、U、爆撃機はB、対潜水艦哨戒機はP、S、輸送機にはCなどです。
長距離かつ大規模な爆撃や核攻撃はBシリーズの超大型戦略爆撃機、制空権掌握はFシリーズの戦闘機、Aシリーズは攻撃と地上軍の航空支援などを主な任務としてきました。
攻撃機のAシリーズは過去の朝鮮戦争とベトナム戦争、そしてアメリカが介入した多くの局地戦と空襲でBシリーズの戦略爆撃機より活躍していました。
Aシリーズ(攻撃機)の軍用機は米空軍と海軍で使用されるだけでなく、他の国にも販売されており、その機体は現在でも多く存在し活躍しています。
しかし、第二次世界大戦の終戦直後から半世紀を過ぎ、東西冷戦の終止符が打たれた今、米軍では当時の機体はほとんど退役してしまいました。
特にAシリーズが帰属する米海軍では、事実上すべての機体が退役しています。(最後に残ったAシリーズは海軍ではなく、空軍のA-10サンダーボルト系でした。)
空軍のA-10は、アメリカ空軍で初の近接航空支援(CAS)専用機で、A-10と同じく電線航空管制機のOA-10は、現在でもまだまだ活躍しています。
冷戦後は上昇し続ける軍用機価格と、新しい21世紀の軍用機を採用のトレンドが最高のパフォーマンスを求めずに汎用性と汎用性を重視するようになりました。
そのためアメリカのAシリーズの攻撃機に対抗する機体が、ロシアやヨーロッパから今、新規の機体を開発せず現存の機体寿命が尽きるまで運用した後に退役させたり、低価格の高等訓練機や、攻撃機兼用モデルを運用する方向となっているのが実情です。
現代の軍用機の歴史の中で多くの役割をまっとうし歴史の裏で消えていった、これらAシリーズの機体を一つ一つ簡単にご紹介いたします。
Aシリーズの機体
A-1 スカイレーダー
A-1 スカイレーダー(Skyraider)は、米海軍が運用していた機体でミッドウェイ海戦などで抜群の活躍した急降下爆撃機の後継機です。
第二次世界大戦の後半に開発され、Aシリーズの幕上げとなった歴史的な機体が、このA-1スカイレーダーです。
開発後、終戦の直前に海軍に引き渡されたため、大戦中の戦績はありませんでした。
しかし、その後の朝鮮戦争、ベトナム戦争で大活躍、一見時代遅れに見えるプロペラの推進の機体でしたが、低空飛行性能にとても優れ、操縦が非常に安定していました。
また、さほど大きくないプロペラ推進の機体は、3.6トンという比較的大きなペイロード(弾頭を積載できる重量)と長い航続距離、そして近接航空支援に適切な短距離離着陸性能まで備えた万能の機体として重宝されました。
旧式に見えるプロペラ推進の機体は、初期のジェット機より信頼性が高く、そのためA-1スカイレーダーは長期に渡り運用されることになったのです。
固定武装に主翼に20ミリ機関砲をなんと4ドア搭載でき、(現代の戦闘機のほとんどは1-2ドア搭載)大量の爆弾を翼のあちこちに付着されたパイロンにぶら下げたまま、ベトナム戦でのジャングル地帯空襲に大量に投入されました。
特にベトナムでは地上軍から要求された近接地域、空襲作戦や味方のヘリコプターの乗組員救出作戦など、空軍の航空支援に大活躍した機体だったのです。
ウォルメングン空軍が運用していたジェット戦闘機ミグ17を近接空中戦において、機関砲で撃墜した記録もあり、接近戦でジェット戦闘機をプロペラスクリュー機が撃墜したのは第二次世界大戦後において、この1回だけしか記録にありません。
A-1 スカイレーダーは、1945年にデビューし、その後のジェット機の急速な発展の中で、1970年代序盤まで30年以上の長くに渡って使用され、初期の米軍航空機の歴史にその名を刻みました。
AJ-2サベージ
AJ-2サベージ(Sabage)は、1940年代末から50年代末までに運用されたアメリカ海軍の主力の艦上攻撃機の一つです。
第二次世界大戦に全盛期だった米海軍の空母機動部隊は、太平洋と大西洋二海洋で行われた海戦を経て、急速に膨張していました。
アメリカ海軍のエセックス級正規空母(3万5千トン級)は24隻に達し、ここで軽空母9隻、護衛空母100隻が存在していたのです。
100隻を超える空母の大軍を保持していたアメリカ海軍は、原子爆弾という究極の兵器ができたことで、その存在意義を疑問視されるようになります。
原子爆弾をアメリカだけが保有していたごく短い間、アメリカは原爆を持っているので従来の他の兵器に大金かけて拡充する理由を見いだせないという世論が広まったのです。
この戦略兵器を手にしたアメリカ空軍は、戦略核爆撃機を勢力を数千機も保持しており、重複して無駄とも思える空母の大軍を保持する必要はないと世論は言い始めます。
アメリカ陸軍は、核地雷や核大砲など戦術核を持つことに満足して多くの兵器を放棄しましたが、海軍は航空母艦で運用する船舶や航空機でも戦術核が運用できる能力を保有することができないか、と努力を続けました。
そのような中で誕生した機体が、AJ-2サベージなのです。
第2次大戦直後に換装されたミッドウェイ級正規空母(満載排水量6万トンレベル)で運用することを目標に、サベージは艦上爆撃機 AJ-1としてデビューします。
3.6トンの爆弾搭載量はA-1攻撃機と大差ありませんが、翼が広く空き容量が多い中大型の機体が特徴でした。
1949年に配置され始めたAJ-2サベージは、昔ながらのプロペラ機という性能の限界のために、戦術核の運用において数年で除外されることになります。
そのため、既に生産された機体を通常の攻撃型の機体に改良され、その機体を海軍はさらに55機発注しました。
しかし、ジェット機へと急速に移行し、軍用機の性能は年々急速に発展していたこの時代、この中途半端なAJ-2の機体は、その運用目標を見失ったまま、就役から10年後の1959年退役、いくつかの機体は給油機や偵察機として、その姿を変えることになりました。
A-3スカイウォリアー
A-3スカイウォリアー(SkyWarrior)は、空母で運用された艦上機としては史上最大の機体です。
この機体もA-2サベージと同様の道を歩きました。
第二次世界大戦後に登場したA-3スカイウォリアーは、最初の核運用機体であったB-29の後に続き、当時の核兵器(長さ3メートル、重さ5トン以上)を載せて飛ぶために開発された米空軍の戦略核爆撃機でした。
当時、海軍は空軍に核を独占されないように対抗するため、戦術核兵器の運用能力を保有しながら、米海軍の超大型空母に搭載できるように開発した機体が、A-3スカイウォリアーです。
この機体はA-2サベージと違い、当時最新のジェットエンジンを搭載し、米海軍の大きな期待を受けて開発されました。
しかしその後、核爆弾の小型化と運用される予定だった米海軍の空母の建造中止などにより放浪を重ねます。
A-3スカイウォリアーは、ジェット機ではあったものの最高速度はマッハ0.8程度でそれほど速くなく、その機体の大きさから空母に着陸すると空母の規模によってデッキが狭いという難点がありました。
50年代になると本来の運用目的だった戦術核攻撃機任務は消え、事実上、退役したA-2と同様に改修され、大きな搭載能力を生かして空中給油機などとして利用されることになったのです。
その後はベトナム戦争で給油機と偵察機でそれなりに活躍、1991年に退役となったのです。