戦争の因果関係
暴力はさまざまである。
喧嘩で殴ることから一人の殺人、大量破壊兵器による大量殺人など、程度によって差がある。
二人の間の喧嘩なら喧嘩両成敗だが、国同士や一方が大きな組織なら因果関係が複雑で、容易に解決に至らないことがほとんどである。
最近出てきた自称イスラム国(Islamic State)のテロリスト(過激派)はひどいことをすると人は言う。
たしかに、インターネット上で公開した殺害の様子を編集した動画は残酷なものであるが、しかし、彼らの行うことだけが残酷なのだろうか。
残酷だけ取り上げるのなら食生活はどうだろうか。
我々は肉を食べているが(食べない人もいる)、牛や豚を屠畜しており、その様子は残酷である。
一般の人は肉片をスーパーマーケットで見て、残酷な場面を見ない。
何が言いたいかと言うと、殆どの人々は森を見て木を見ていない、一般に公開される情報は限定的であり、誤った情報を鵜呑みにしてしまうことがあるということである。
歴史を見直すと、少し前にはタリバンというテロリストが大量殺人を起こしていた、彼らの一部の者が行った自爆攻撃も記憶に新しいことである。
彼らの正義や行動は自己主張であり、相対するところが納得するものでも、納得できるものでもない。
第三者が認めないことがほとんどである。
更に遡れば、オウム真理教は宗教とは思えないほど犯罪を繰り返していた。
サリンを作り、地下鉄に乗る不特定多数の人や、敵対する裁判官住宅を狙ってばら撒く、という戦争のような行為を働いていた。
第二次世界大戦での米国の日本への原爆投下や、ナチスのユダヤ人狩り等は大量殺戮である。
米軍の爆撃機(エノラゲイ)から原爆を投下した軍人は、原爆で多くの日本人を虐殺したことを正当化しているが、被害者遺族にしてみれば偽善であり、詭弁のように思うだろう。
広島市では約十万人の人が亡くなったと言われている。
見方を変えれば、IS(イスラミックステート)のテロリストにとって、米国も立派なテロリストであり、報復の対象になるのである。
尚、私はどちらに対しても味方ではなく、中庸の立場である。
核軍縮を謳ってノーベル平和賞を受けた米国のバラク・フセイン・オバマ大統領は、軍事介入として無人の軍用機等でシリア等に爆撃を続け、更にイラク軍に軍事支援をして、地上戦に協力している。
核兵器はロシアと共に人類を何十回と滅亡させるほど保有している。
これが現状なのである。
更に少し前にはイラク戦争で、当時のジョージ・ブッシュ米国大統領が大量殺戮兵器をイラクが保有しているとして始めたが、実際は無かったために批判を浴びていた。
誤った情報で戦争を起こし、誤りに気づいても多数の死者に対する責任は取らない。
当時の記憶を思い出すと、テレビ各局がピンポイント攻撃をする空爆や、発射するトマホーク巡航ミサイルの動画が公開されていた。
被害のニュースが流れたが、どれだけ死亡したか、はっきりしないし、我々は流れた血や飛び散った肉片は見ていない、だから私たちは隠された事実は見逃していると考えていい。
アフガニスタン紛争ではソビエト連邦が軍事介入し、米国が武器や資金を供与し、そのためソ連が撤退後も紛争が続いた。
その後、ソ連が崩壊し、ロシアが復活したが、タリバンが勢力を拡大し、イラク戦争に繋がり、中東地域の不安定化が続くことになった。
今のIS(イスラミックステート)はこのような歴史の流れの一部となっている。
いずれにせよ間違って殺された一般人の家族は一生怨恨になるだろうし、実際彼らは、大昔の十字軍を引き合いに出し、欧米に協力する我国を敵視した。
我国はイラク戦争で軍事支援をしなかったが、燃料供給など、間接的と言える後方支援は行った、間違った戦争に加担した責任はどうなるのか。
いっこうに明確な回答がないことは問題だし、問題は先送りされている。
現代の歴史上の問題
我国の過去の日本軍に関する問題はどうだろう、従軍慰安婦の問題がある。
この名前は別として、世界各国に売春のようなものはあったし、韓国では過去も現在もないと断言できるだろうか。
ないとは証明できないのだから日本だけ批判されるのはおかしいことになる。
吉田清治の従軍慰安婦に関する虚偽の話については、朝日新聞が過去の記事を訂正し、謝罪しているように、巷に流れる情報の全てが正しいと鵜呑みにするのは危険である。
靖国神社にA級戦犯を合祀しているという理由で参拝することが問題だとする国があるが、それは言いがかりである。
事実としての戦争の歴史をなかったものにしていいのか、他国の慣習を否定していいのだろうか、人が死亡しても永遠に責任を問われ続けなければならないのだろうか。
実際に行って見ればわかるが、靖国神社は静かな所で、命の尊さと平和の大切さを訪れる者に伝えている。
遊就館には零式艦上戦闘機五二型や戦車、高射砲、人間魚雷回天などが展示されているが、現代では通用しない過去の遺物で、歴史を学ぶことができる重要な施設なのである。
一般市民を大量虐殺した米国の原爆の方がもっと怖ろしいものであり、日本人が日本国のために亡くなった英霊に感謝するのは当然のことである。
花嫁人形も展示されているが、これは結婚もできすに亡くなった兵士のために遺族が贈ったものである。
南京大虐殺も疑問に思う。
証拠もないのに恣意的に事実を歪曲しているのではないか。
敗者の日本だけ攻めて米国の東京大空襲や原爆による虐殺は問題にしないのは問題で、勝者が戦争犯罪に問われないのが現実で、東京裁判や国際連合は勝者の論理なのである。
尚、平成27年3月1日現在、安倍政権では現代の歴史上の問題に関する意見の相違等から、中国と韓国との関係が良好なものとは言えない状況である。
我国の最近の取り組み
平成26年以降の安保法制の整備に関する議論は、集団的自衛権行使などについて、自民党が憲法改正なしに憲法の解釈変更で行おうとするもので、野党は立憲主義に反すると反対していた。
たしかに最高裁で憲法判断が行われるとすると、違憲と判断される恐れがある。
それに公明党が言う我国の存立が脅かされる場合に限定するものだとすると、拉致された邦人の救出は期待できないから、このままでいいと考えるには無理がある。
従前通り話し合いで解決しようとするもので、家族の不安感解消にはほど遠い内容で、日米の関係は現実の脅威に迅速に対応するために同盟強化が必要だとするのが大勢を占めていた。
領海・領空の警備は、海上保安庁と自衛隊が連携しているが、強化が図られている。
米国が安保の対象地域とすると公言したが、それでも自国がある程度警備しなければならない。
沖縄の米軍基地(普天間飛行場など)負担の軽減は、沖縄県内での基地移転(名護市辺野古)ということで、県外・国外移設あるいは基地排除をめざす県民の反対の声が高まっている。
我国の外交と安全保障
我国の外交と安全保障はどうあるべきなのだろうか。
憲法改正なしに憲法の解釈変更で集団的自衛権行使を行おうとするのではなく、憲法改正をする必要がある。
俗な書き方をすると、外交交渉では軍事の背景がなければなめられてしまう、だから国軍を明確にし、自衛力の強化が行わなければならない。
また、虚偽の情報に翻弄されないようにしなければならない。
テロリストの脅しに屈するのではなく、脅威に対抗するためにも、邦人が殺害されたら報復しなければならない。
これは戦争ではなく、警察権の行使として行うことで、それに反対するのなら対案を示すべきで、それもしないで対話をするとか、問題を放置したり先送りするのでは、何もしないことと同じで、存在意義すらないことになる。
繰り返すが、話し合いだけで平和は実現しないのである。