太平洋戦争の末期、軍令部は圧倒的に不利となった戦局を逆転するため、回天と呼ばれる人間が操縦する魚雷で、体当たりする戦法を考え出しました。
その回天の訓練を行っていたのが大分県の北部、国東半島の付け根に位置する日出町大神の大神回天基地です。
旧大神回天基地の中にあった回天神社は、戦後間もない昭和21年4月に遷宮、現在は住吉神社の境内にあります。
回天神社に上る、坂の下に回天を格納してあった格納壕がありました、中に入ると土がむき出しの洞窟といった感じで、奥に進むとコンクリート製の基礎?と左に横穴が掘ってあります。
格納壕はH型の形状になっており、横穴を進むとさらに格納するための部屋があるらしいのですが、真っ暗の洞窟の中を、スマホの明かりだけで進むのは無理、と断念。
回天格納壕に向かって左にある急坂をのぼると、別府湾を一望できる高台に、回天神社があります。
天気が良ければ大分市まで見えるロケーションで、ちょうど別府湾を挟んで、反対側には新日鉄大分製鉄所があります。
回天は、大東亜戦争末期の不利な戦況を打破すべく、軍令部が考え出した十死零生の戦法の一つです。
回天の模型を目の前にして、こんな鉄の塊に人間を押し込めて、死地へ向かわせる参謀本部の人間には腹が立ちますが、生きることが許されない隊員たちの心境を考えると何とも言えない気持ちになります。
回天1型 性能表
- 全長:14.75m
- 胴直径:1.00m
- 全重量:8.3トン
- 行動半径:10ノット – 78.000m
- 行動半径:30ノット – 23.000m
- 機関:93式酸素魚雷機関
- 炸薬量:1.55トン
回天神社は、戦争当時は回天基地の本部内にあったそうですが、戦後、住吉神社の境内に移され、回天神社の左に見える建物が、住吉神社の本堂です。
神社内の説明書きによれば、回天神社のご神体は3種の回天の部品、ご祭神は天照大神、慶神天皇、楠正成、祭祀者は海軍大佐 山田盛重となっています。現在の社殿は平成13年(2001年)に新築されたものだそうです。
鉄製の鳥居をくぐると回天神社の本堂があります。本堂には自由に入ることができ、中には写真や、回天の資料が展示されています。
周辺にはいくつかの施設も現存しており、道路を挟んだ記念碑の反対側に、魚雷調整プールが残されています。
魚雷調整場から振り返って見える丘の上に、回天神社があります。
魚雷調整プールは、回天をプールの水の中に沈め、水漏れを検査するための施設で、魚雷調整施設の一部だったということです。
回天の訓練基地は、他にも山口県徳山市、山口県光市、山口県平生町、と続き、大神に4番目に建設され、そのほかにも国内各地に、数多くの基地がありました。
回天での特攻では、87名の戦死者を出していますが、ここ大神回天基地からは、自決による死者が1名いるのみで、特攻での戦死者は出していないということです。