戦車、それは地上戦の華、第二次世界大戦時には各国がこぞって、様々な特徴を持った戦車を開発していきました。
圧倒的な火力で目標を粉砕したり、歩兵たちの信頼できる盾となったりと、用途は様々です。
そんな頼もしい戦車たちの中でも、特に優れたものを国家別に紹介していきましょう。
4号戦車(ドイツ)
ドイツ戦車の中で最も多く量産されたのが、この4号戦車です。
A型~J型まで改良に改良を重ね、第二次世界大戦を通して愛用され続けました。
戦車としては非常にオーソドックスな作りとなっており、ドイツ戦車の中ではコストパフォーマンスに優れています。
はじめは短砲身の主砲を積んでいたのですが、後期(F2型以降)は長砲身の75mm砲を搭載し、敵戦車の装甲に対抗しました。
量産体制に入っていたため、多くの派生戦車が存在し、潜水戦車や指揮戦車、突撃戦車ブルムベアや、対空戦車ヴィルベルヴィントといった、様々なタイプのものが作られました。
5号戦車(ドイツ)
「パンター」の名で知られる戦車です。
この戦車はソヴィエト戦車「T-34」に対向することを主目的として製造されました。
先のポーランド戦やフランス戦では、前述した4号戦車で十分だったのですが、ソ連のT-34戦車の戦闘力は強力だったのです。
パンター戦車が特に強力だったのは、その前面装甲で、前面の傾斜装甲への攻撃であれば敵戦車の主砲を軽々と跳ね返したそうです。
一方で機関部付近への着弾により、簡単に炎上してしまったりと難点もありました。
総合的には大変強力な戦車でありながら、コストパフォーマンスも悪くなかったのですが、生産ラインの切り替えコストを惜しんだ政府の方針により、4号戦車と並んで、大戦後期の主力戦車として扱われました。
6号戦車(ドイツ)
「ティーガー」の名で知られる恐らくドイツ戦車の中で最も有名な戦車です。
第二次世界大戦期の最強戦車として、圧倒的な地位を確立しています。
この戦車最大の特徴は主砲の「88mm高射砲」ではないでしょうか。これは元々対空用に作られた砲なのですが、空へではなく、水平射撃による貫通力が評価されており、「だったらこれを戦車に積んでしまおう」という発想により搭載された強力無比な代物です。
アハトアハト(ドイツ語で88の意味)と呼ばれ、兵士から愛されました。
実際、この砲をもって貫けぬ連合軍の戦車は存在せず、連合軍側もティーガー戦車を恐れて「タイガー戦車を相手にする時は、必ず3輌以上の戦車で迎撃する事」などと警告を出していました。
間違いなく最強の戦車といえるでしょうが、ドイツ戦車らしく、やはり問題も多く抱えていました。
コスト
4号戦車のおよそ3倍もの費用がかかり、大戦後期は戦車の数が不足していたこともあり、ティーガー戦車を量産することは不可能でした。
機動性
重戦車であるため非常に鈍足であり、またトンネルを通過できなかったり、橋を渡れなかったりと運用に難があったのです。
なんにせよ、正面から一対一で撃ち合えばこの戦車に勝る戦車は当時存在しませんでした。
T-34(ソ連)
独ソ戦において最も働きだった戦車は、このT-34ではないでしょうか。
パンター戦車や、ティーガー戦車に砲撃戦で勝つことは難しかったですが、ドイツ軍の中核を務めた4号戦車に対して、優位を保つことのできる戦車です。
なんといっても、この戦車は簡単に量産ができ、また機動性に優れていたことが特徴でしょう。
一対一で勝てなくとも、多対一で勝てばいいのです。
ソ連は人的資源が豊富でしたので、損害数で上回っても戦術・戦略的な勝利を収めることは容易でした。
劣悪な地形下、ティーガー戦車が足を取られている中、多数のT-34が襲う・・・そんな局面も多々あったでしょう。
クロムウェル巡航戦車(イギリス)
イギリスの戦車設計思想は、他国のそれとは違っていました。
機動性を重視した巡航戦車、装甲・制圧力を重視した歩兵戦車・・・二つの設計思想に基づく戦車が両立していたのです。
このクロムウェルは巡航戦車であり、第二次世界大戦中、最速の戦車と言われるほどの機動力を持っていました。
しかしながら火力は低く、敵戦車と真正面から撃ち合えるような性能は、一切持ち合わせていなかった戦車です。
チャーチル歩兵戦車(イギリス)
こちらは先に述べた二つの設計思想のうちの一つ、歩兵戦車です。
非常に装甲が厚く、歩兵を足並みをそろえさながら要塞のように扱われました。
速力こそ劣悪ですが、悪路も構わず進むことができ、歩兵に追随する戦車としては、地味ながらも非常に有用な戦車でした。
レンドリースによりソ連にも貸与されており、スターリングラードの戦い等で奮闘したと記録されています。
M4中戦車(アメリカ)
「シャーマン」の愛称で親しまれたアメリカ合衆国の戦車です。
この戦車は、実にアメリカらしい戦車であり、第二次世界大戦を象徴する戦車の一つでしょう。
様々な派生戦車があるにも関わらず、構成部品を統一して互換性を持たせることにより、高い信頼性が保たれていました。
職人ではなく、主婦のような技術力を持たない人間であっても、戦車工場に努めてパーツを製造することができ、それにより大量生産を可能にしていたのです。
性能で言えばそこまで高くはありません。
パンター戦車に勝つことはできず、4号戦車と同等程度でした。
にもかかわらず、圧倒的な数を以って、ドイツ戦車を打ち破ったのです。
シャーマン戦車の派生戦車の中でも、特別に活躍したものがあります。
それはアメリカからイギリスに貸与されたシャーマン戦車の砲を、イギリス国産の17ポンド砲へと搭載しなおした「シャーマン・ファイアフライ」です。
これはティーガー戦車をも撃破するほどの火力を持っており、大変重宝されました。
しかしながら、装甲は普通のシャーマン戦車であるので撃ち合いには弱く、迷彩やダミーを用いた戦術により、ティーガー戦車に対抗したそうです。
ところで、この戦車は対日本戦にも多く導入されました。
大日本帝国は対戦車能力に乏しく、このシャーマン戦車を撃破することは至難の業でした。
日本の砲ではシャーマン戦車を撃破することは難しく、爆弾を抱えた歩兵が突撃する、アメリカ軍からバズーカを奪取し使用する・・・など大変苦戦させられたようです。
2014年にはブラッド・ピット主演の映画「フューリー」が公開され、シャーマン戦車が大きく取り上げられました。
M26重戦車(アメリカ)
「パーシング」の名で呼ばれるアメリカ屈指の重戦車です。
シャーマンは前述のとおり、非常に生産性に優れていたのですが、やはりドイツの強靭な戦車を破ることが困難であったため、このパーシングが開発されました。
投入されたのは大戦末期ですが、構想通り、ドイツ軍のパンターやティーガーの撃破に成功しています。
とは言え、単体での撃ち合いであれば、やはりティーガーに分があったようで、連合国の勝因は質ではなく数ということでしょう。
九七式中戦車(日本)
「チハ」の呼称で知られる日本の戦車です。
ハッキリ言って活躍したかどうか、については疑問は残りますが、日本の主力戦車だったことは間違いありません。
中国戦線では間違いなく活躍したのですが、ひとたび太平洋戦争が始まり、アメリカ軍と交戦するようになると苦戦を強いられました。
敵戦車を破壊するだけの砲を持たず、また装甲は薄く小銃ですら貫通するようなものだったのです。
そんな体たらくっぷりを見せたチハは、帝国兵士から「鉄の棺桶」等と呼ばれたこともありました。
散々な評価を得てしまったチハでありますが、しかしながら貴重な戦車として、日本の戦線を支え続けたことも事実なのです。–>
ドイツの3号戦車も以下の理由から名作戦車として取り上げてほしいですね~。
1. 指揮する人、弾を込める人、狙って撃つ人の役割を分担した3人乗り砲塔を採用することで、効率よく砲撃を行なえるようになった。
2. 無線を搭載することにより、より高度な連携戦闘を可能にした。
3. 戦車において今日主流のトーションバーサスペンションを採用した。
アナナマス様
コメント頂き有難うございます。
3号戦車についても、取り上げていきたいと思いますので、よろしくお願いします。^^
ドイツで4号戦車ってなってますがあの画像3号戦車では?
確かにⅢ号戦車だね
97式中戦車チハが小銃で撃ち抜けるというのは都市伝説ですね(汗
米陸軍のレポートではM2重機関銃でテストした結果
90メートル以降の距離からではどの角度・部位も貫通不可能
36メートルでも一部貫通不可(多分ポールマウント?)
45メートルから装甲最薄を貫通可能(角度・部位の記載無し)
シャーマン程度の主砲なら320メートル以上離れると正撃以外では貫通不可能でしょう
多分主力戦車の95式軽戦車と97式軽装甲車の風評被害で広まったものですね
この二両が実質日本陸軍の主力戦車でした
同じ97式なので紛らわしいですね
チハは一応戦車の撃破を想定して設計されてるので歩兵が持つ銃では抜けません(対戦車ライフルを除き)
しかしその頃採用され始めた歩兵携行式のロケットランチャーによる被害がとても多いので
歩兵に撃破される=小銃でスパスパ貫通する
という感じで誤解されたものも良く書籍等でも見ますね
因みにチハでも徹甲弾を用いて米軍のM3LeeやM4を正面から撃破した記録はあります
ただ榴弾の質が悪く徹甲弾のみの戦果でどれも距離は200メートル以内での戦果です
チハ、写真がちがいますね95式軽戦車になってます
クロムウェルも腐っても6ポンド砲か75mm砲を積んでいたので撃ち合えないというのはないと思います。チャーフィーでもPz.ⅣHの撃破例がありますので。
ドイツで4号戦車ってなってますがあの画像3号戦車では?
チハの小銃で貫通した話は連合軍が馬鹿にしただけであって、実際に実験したら貫通はできなかったと言われているそうですよ。
97式ではなく95式の写真が使われている、その指摘から3年経っても修正していませんね。こんなショップは信用出来ません。貴方の商売の相手は大半が日本人です。祖国を褒めたたえよ。誇れ。もっと客を楽しませろ。
ミリタリー好きの傾向として旧日本軍を馬鹿にする者は例外なく、知識が浅い。又は思想的に偏っています。理屈ではなく感情で判断する。30倍の国力、5倍の戦力、一部例外はあるものの基本的に日本軍より優秀な装備をもったアメリカ軍は大戦の前半2年を連戦連敗で飾っています。ランチェスターの2乗則より、戦力が3割劣れば惨敗必至の近代戦においてこの戦果です。熾烈な受験を勝ち抜いた日本の参謀、将軍達は極めて優秀でした。97式も採用された1937年時点では装甲、火力、機動性のバランスの取れた優秀な戦車です。この頃は戦車設計の黎明期で、多砲塔戦車といったゲテモノの巣窟の中で、97式の設計はかなり正しいといえるでしょう。
30年前に防衛装備品を設計した経験でコメントします。
>日本の砲ではシャーマン戦車を撃破することは難しく、
>爆弾を抱えた歩兵が突撃する、
>アメリカ軍からバズーカを奪取し使用する・・・など大変苦戦させられたようです。
兵器製造、後方から需給品を補給する能力、戦時下で調達可能な資源で製造する技術は造兵と呼ばれす。
造幣は、公開されている情報が極端に少なく、装甲車と戦車の相違点よろしく、民間の議論が絶えません。
有り体に言ってしまえば、大戦中の帝国陸軍の徹甲弾の材質は、欧米の徹甲弾よりも柔らかく、1000m装甲防御も口径=装甲厚の近似法則が成立しないほどでした。
欧米の徹甲弾は、クロムおよびモリブデン0.5未満含有の髙炭素鋼を熱間鍛造した砲弾が主流で普通鋼の2~3倍程度の衝撃強度を有しておりましたが
大戦中の帝国陸軍の徹甲弾は、含浸炭素鋼による搾出(しぼりだし)成形に熱処理品をした製法で、衝撃強度は普通鋼の1.8倍程度でした。
装甲貫徹力は、火を見るより明らかで、同じ射程、同じ口径で比較した場合、欧米規格の戦車砲の約60%の能力でした。
1000mで比較では、当時の我が方の徹甲弾は敵装甲に弾着した瞬間、弾頭が砕け散り、我が方の主砲の威力は、同じ口径の敵主砲の約半分の威力でした。
敵方の有効射程が800mの場合、我が方の有効射程は500乃至400mとしても差し支え有りません。
我が国では、クロムやモリブデンは、希少資源でしたから、試作的使用されることはあっても、実戦部隊の需要を満たすべき資源量に乏しく、有効な硬度を持った徹甲弾の充分な量が確保できなかった故に。
実戦では、多くの犠牲を生じる結果となりました。
装薬については、当時、HMXオクトーゲンとの混合物でRDXヘキソーゲンが完成されて装薬に添加されており、欧米と同等でしたから、砲に威力が無かったのではなく、砲弾に貫徹力が無かったとするほうが正しいと了解しております。
余談ですがにRDXヘキソーゲン(シクロナイト)は、甘い味がすることから「火薬は甘い」との風説を生み、多くの兵卒が味見をする事がありましたが、
殺鼠剤クラスの毒性を有しており、食中毒にとどまらず、死者も出ました。
また、製品の性状と添加物によってコンポジションA~Cまであり、
特に可塑剤と混練したコンポジションC製品の5段階粘性度で粘性4の火薬は
C4と呼ばれ、プラスチック爆薬として軍用に供されていると思います。
少し気になりましたのでコメントしました。
30年前に防衛装備品の設計を経験した者です。
装甲車と戦車の相違点について。
装甲車も戦車も砲や火力ではなく装甲車台の運用方法で定義されております。
例えば、砲塔を撤去してクレーンを設備した、車台は戦車回収車として装甲車に分類されます。
民間では、運用方法の相違として理解されていると了解しております。
装甲車とは、使用目的に供する装甲車台が
偵察、輸送、対人対戦車対舟挺戦闘、対空戦闘、支援の各戦闘任務に充当され
なおかつ、当該装甲車台の輸送および運用に橋梁の重量制限を受けず、輸送機、輸送艦、舟挺に積載して移送する際に支障の無い装甲車台として定義されております。
戦車とは、使用目的に供する装甲車台の任務から輸送と支援任務を除いた
打撃戦力を構成しうる装甲戦闘車として定義され、移送に関して制限を有する装甲車台として定義されております。
よって、戦車は河川の渡渉の際に橋梁の重量制限を受けてもよく、その代償として重防御と大火力、高機動性が付与されております。
装甲車は戦車から火力を取り去るかもしくは付与しつつ、支援、輸送の任務にも供する事ができる機甲戦力と理解していただければ良いかと思います。
この回答で各界の有識者の方に対する回答としたいと思います。
むなしいのう。制空権をとられて空の要塞B29各都市を焼夷弾で焼き尽くされておまけに人類初の原子爆弾投下の憂き目にあった民族の戦争談義とはとても思えん。制空権だろセイクウケン。