地上を移動する車両であれば、たとえ故障しても止まればそれで済みますが、空中ではそうはいきません。
移動速度が地上を移動する車両より圧倒的に速い上、3次元の世界なので、ちょっとした不具合が命取りになります。
例えばイギリス空軍の失敗機、ブラックバーン・ボウタは、機銃を旋回させると左右非対称になるため、垂直尾翼がバフェティング(振動、バタつき)を起こしてしまったそうです。
そんな空の上で危険を顧みずに行われてきた、さまざまな事例の数々を取り上げてみたいと思います。
ベトナム戦争までは負け知らずだったアメリカですが、冷戦時、核の爆発力でソ連爆撃機を一掃しようと行われた唯一の空対空核ミサイル(何と大気圏内で実験をしたらしいのです!)AIR-2 ジニー以外にも色々な「面白い」試みをしています。
寄生戦闘機「ゴブリン」
F-4「ファントムⅡ」、F-15「イーグル」,F-18「ホーネット」,AH64「アパッチ」などで知られるマクダネル・ダグラス社(ロッキード社に吸収されました)ですが、第2次大戦直後はロッキード社やノース・アメリカン社といった主要メーカーが手がけないようなモノを作る「ニッチ」航空メーカーでした。
東西冷戦の当時の敵国(ソ連ですね)に侵攻する際、自国の爆撃機を護衛することのできる航続力の長い戦闘機がないことが問題になっていました。(その当時は空中給油が実用化されていません。)
そこで考えだされたのが、B-36「ピースメーカー」の爆弾倉に戦闘機を積んで、敵国に侵入したら発進させよう、というアイディアでした。
しかし、いくらB-36が巨大機だとはいえ、爆弾倉にそうやすやすと戦闘機が収まるわけがありません。
この戦闘機を設計する上での軍からの要求は厳しいもので、全長4.75以内、全幅1,68m以内せよ、というものでした。
このサイズは、トヨタ・カローラとくらべても、長さはほぼ同じ、幅は8㎝狭い、つまり、カローラより小さい戦闘機を作れと言われたのです。
それでも戦略的にも重要なお仕事なのでマクダネル・ダグラスの技術者は頑張りました。
サイズを小さくするためにパイロットはエンジンにまたがる形になり、主翼は艦載機のように折りたたみ式にして、ともあれ軍の要求に答えたのです。
この「寄生戦闘機」XF-85は「ゴブリン」(小さい精霊)と名付けられ、運用実験が始まります。
B-36が「お母さん」の本番とは異なり、実験では母機にはB-29が使われます。
その爆弾倉から、「トラピーズ」というアーム(空中ブランコみたいなものをイメージしてください。)に吊り下げられる形で母機の下に吊り下がり、そこから主翼を展開して発進するのです。
しかし予想されていたこととはいえ、発進から帰還までが並大抵の苦労ではありませんでした。
その小ささゆえに搭載できる燃料も少なく、発進から帰還までを30分以内で終わらせることが要求されたのです。
ある日の実験ではトラピーズが、ゴブリンのコックピットの風防を壊し、急激な気圧低下でテストパイロットが失神してあわや、という事態が起きました。
しかしパイロットは間一髪意識を取り戻し、実験では不時着用のソリをつけていたので事なきを得ました。
合計7回の実験で、無事帰還したのは3回だけで、あとの4回は不時着という結果に終わり、このシークエンスがいかに困難であるかが証明されてしまいました。
1949年に遂に計画は断念されましたが、「お母さん」の胸に帰るだけでも大変なこのゴブリンが、まともな空戦ができるとは思えません。
実戦がなかったのと、実験で死者が出なかったのが不幸中の幸いでした。
マクロスファンが設計?ナットクラッカー
戦後、米軍はVTOL機(垂直離着陸機)に御執心でした。
VTOL機が完成すれば滑走路の心配もいらないし、何しろ空母に積むのに便利だ!と考えたのです。
コンベア社の有名な未採用機(?)XFY-1「ポゴ」などもその一例ですが、やはり実用化にはジェットエンジンのポテンシャルが必要でした。
1970年にVTOL機「ハリヤー」が実用化されていましたが、やはり自分の国で作りたくなったのでしょう。
グラマン社が1970年代に設計したのが「ナットクラッカー」でした。
VTOL機で問題なのは、推力をいかに垂直方向に向けるか、という問題です。
ハリヤーはエンジンノズルの噴出方向を変えることでこの問題を克服しましたが、そう簡単にマネできるものではありません。
そこでグラマン社が考えだしたナットクラッカーの方式は、逆に誰も真似できないようなものでした。
イメージイラストで見ると、戦闘機がコックピットの後ろ辺りで下に折れ曲がり、それでエンジンの推力を下に向けようとしたらしいのです。
「ナットクラッカー」とは「くるみわり人形」の事で、その姿から名付けたのでしょうが、古いアニメを知る者としては、マクロスの「ガウォーク形態」に見えてしまいます。
ちなみにこの戦闘機、「X」で始まる開発コードがないことからも分かる通り、試作機も作られていないのが少し残念です。
技術的には、ハリヤーが4基のエンジンで姿勢を制御しているのに、「ナットクラッカー」はイラストで見る限りはエンジンは2基なので、やはり実用化は難しかったと考えられます。
アメリカの特攻機?フライングラム
無尾翼機大好きなノースロップ社が、全翼小型迎撃機を作らせてくれ、と米陸軍にお願いして、乗り気になった陸軍の要求にラディカルに応えてしまったのが、XP-79B「フライング・ラム」です。
そのデザインは、組み立て前の主翼部分だけかと思うほど、まんま「全翼」です。
パイロットはソリ競技のスケルトンのように腹ばいで乗り込むので、コックピットらしき突起もありません。
ちょこっと垂直尾翼があるだけです。
ターボジェットエンジンで舞い上がり、12.7ミリ機銃を撃ちまくって敵爆撃機を迎撃しようというものです。
ICBMがなかった当時、核爆弾の運搬手段は爆撃機でしたから、アメリカは迎撃機の開発に躍起となっていたのです。
初飛行は日本が降伏して間もない1945年9月に行われました。
ところが試作機は突如コントロールを失って墜落、テストパイロットは脱出の間もなく死亡という最悪の結果を迎えてしまいました。
これで「フライング・ラム」の開発も中止となります。
ところが、短命に終わったこととその特異な形状から、この戦闘機には伝説が語られるようになります。
映画「メンフィス・ベル」の1シーンで、主役の「メンフィス・ベル」の機銃がドイツ戦闘機を撃墜して喜んだのも束の間、その戦闘機が墜落しながら味方のB-17の胴体を真っ二つにしてしまう悲劇が起きる、というものがありました。
「フライング・ラム」はこのシーンのように、敵爆撃機を翼で切り裂こうという運用設計のもとに開発されたのではないか、という記述があるのです。
ニックネームもこの伝説に拍車をかけました。
「ラム」とは昔の軍艦の先端に取り付けられた、体当たり用の「衝角」のことです。
「ram」とは動詞にすると「体当りする」という意味で使うくらいですから、このような伝説がまことしやかに(ミリタリーファンの間だけに)広まったのでしょう。
しかし冷静に考えてみれば、合理的なアメリカ人がそんな特攻さながらの兵器を作ることはなさそうです。
第一、体当たりだと反復攻撃が難しく、爆撃機の方が数が多ければ取り逃がすことになります。
これらは過去のものに思えますが、F-22「ラプター」やF-35「ライトニングⅡ」の華やかな航空機の存在の裏では、我々の知らぬところで、こういうトンデモ兵器を大真面目で開発にいそしんでいる人がいるのかもしれません。