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17世紀から18世紀、欧州の陸上戦の兵種

2015年2月9日 あたるじん ミリタリーの歴史

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18世紀はどのような時代かパッと思いつかない人も多いかと思いますが、ナポレオン・ボナパルトとか、ベルサイユのばら(フランス革命)、アメリカ独立戦争といったら、時代がイメージできる人も多いかと思います。

そのころはまさに帝国主義の時代、陸でも海でも、テーブルでも(外交戦・情報戦)、ヨーロッパ各国が大なり小なり戦争に明け暮れていた時代です。

そんな18世紀から19世紀前半、と言ってもナポレオン戦争が集結し、その戦後処理を話し合った、ウィーン会議あたりまでの陸の戦いについての話を中心にしていきます。

陸の戦い

戦列歩兵

ヨーロッパでの陸の戦いと言ったら何を思い浮かべるのでしょうか。

人によっては銀色の鋼鉄の甲冑を身につけた騎士が大きな槍を持って相手に突進していく、といったイメージや、第一次世界大戦のような塹壕戦のイメージ、第2次世界大戦のドイツとロシアの戦車戦がメジャーなのかもしれませんが、当時は、「戦列歩兵」と呼ばれる兵士同士のぶつかり合いが戦争の中心でした。

軍隊の中核をなすのは歩兵であるのは古代から現代でも同じですが、その歩兵は通常、マスケット銃を持った歩兵が数十メートル、の縦隊や横隊を作り、それを何列にも並べて、敵と味方が最も近くなった部隊同士で銃を撃ちあう、という戦闘の仕方が一般的でした。

銃を撃ちあうと言っても、マスケット銃は現代のライフル銃や自動小銃のように、何百メートルも離れた相手を狙えるわけではありません。

マスケット銃は線条(ライフリング)が施されていないので、銃弾が真っ直ぐに飛ばないのです。

ですから命中率が悪い。

平均的なマスケット銃の最大射程距離は200メートル位、有効射程距離、つまり相手を殺傷できる射程距離は、その半分以下の100メートル~50メートル程でした。

ですから歩兵がバラバラに行動して銃を撃っても、相手を殺傷できる確率は低いので、密集し、横1列になって銃を撃つ、横1列より2列、2列より3列の方が命中率は上がります。

そんなふうに歩兵を並べた結果が「戦列歩兵」なのです。

日本を例に挙げれば、織田信長が火縄銃を集中的に配置、運用し、当時戦国最強と呼ばれた武田軍団を破った、長篠の戦いを思い浮かべてくれたら良いと思います。

それが鼓笛で整然と更新しながら敵に前進し、号令によって一斉射撃するような、高度に運用された形態が当時の「戦列歩兵による戦争」と考えてくれればイメージがしやすいと思います。

※映画では「パトリオット」(アメリカ独立戦争)、「バリー・リンドン」(七年戦争)などが戦列歩兵の戦闘の参考になります。

騎兵

歩兵とくれば、次は馬に乗った兵、騎兵です。

先ほど長篠の戦いを例に出して説明をしましたが、騎兵の強さはその速さ、つまり機動力にあります

信長はその機動力を削ぐために、馬防柵と呼ばれる馬を止める柵を作り、怯んだところを鉄砲で撃ち、戦国最強と呼ばれた武田騎馬隊を打ち破ったと言われています。

なぜ信長は馬防柵を作ったか。

それは歩兵(足軽)の騎兵に対する弱さ、つまり、歩兵より機動力があり、その速さと大きさに怯んでしまうことを補うためです。

もっと言えば、武田勝頼が野戦と思って兵を動かしたのに対し、信長はお城や砦のなどの要塞に籠もり、高所や塀、櫓から相手を攻撃する籠城戦を意識して戦う、という発想の転換をしていたということです。

軍事学の常識では、城を攻める方は守る方の3倍の兵力が必要だと言われます。

長篠の戦いでは武田軍15000人に対し、織田・徳川連合軍は38000人と言われているので、倍以上の兵力で、かつ守る、より勝率の高い戦闘を考えた、信長の軍事的才能に思わず息を飲んでしまいます。

話が少しそれてしまいました。

このように、騎兵は歩兵に対して優位に戦いを進めることができ、戦列歩兵の戦列に穴を開け、自軍の戦列歩兵の全身を助ける役割を果たします。

特に正面ではなく、相手の戦列歩兵の横から不意打ちを食らったら、瞬く間に相手の軍の戦列は崩れ、戦線は崩壊してしまいます。

無論、それを防ぐため、相手の軍はそれに対応するための騎兵を控えておきます。

また、騎兵には胸甲騎兵、槍騎兵、竜騎兵など様々な種類の騎兵がありました。

簡単に分けてしまうと、胸甲騎兵はサーベルとピストルを装備し、相手の歩兵に突っ込むのが主たる役割。

槍騎兵は対歩兵・騎兵用に用いられ、特に相手が騎兵を投入してきた時に投入し蹴散らすのに効果を上げました(ワーテルローの戦いが好例です)

竜騎兵はマスケット銃、サーベル、ピストル等を装備していましたが、基本的には馬で相手の側面に回り、馬から降りて戦列を作るといった、いわば馬に乗った戦列歩兵の役割を持っていました。

他にも偵察、兵站部隊への強襲、威嚇等に用いられた、軽騎兵がありました。

騎兵をいつ投入するかのタイミングは難しく、騎兵を有効活用できたのは、戦史上でもアレクサンダー大王やポエニ戦争のハンニバル、日本では源義経ぐらいだと言われます。

一見騎兵は華やかで名誉ある兵種だった(士官学校では騎兵科が最も人気だったそうです)のにも関わらず、司令官にとっては扱いにくい兵種でもありました。

※騎兵の突入タイミングについては、戦列歩兵でも紹介した映画「パトリオット」、「ワーテルロー」が参考になります。

砲兵

最後に砲兵について紹介したいと思います。

砲兵は歩兵や騎兵に比べると新しい兵種です。

歩兵や騎兵が紀元前から運用されていたのに対し、砲兵、つまり戦争に於ける大砲が、本格的に用いられ始めたのはジャンヌ・ダルクの頃、つまり百年戦争の頃だと言われています。

さて、砲兵はどのような役割をしていたかというと、その火力と射程距離を持って相手を攻撃、牽制するのが主な目的でした。

攻撃では、戦列歩兵は密集しているのでそこへ砲火を浴びせ、戦列歩兵同士が撃ちあう前に少しでも戦闘力を削ぐのに用いられました。

牽制では相手の戦列が横へ回り込み、迂回攻撃をしようと試みようとした際に、その移動しようとする先に集中砲火を浴びせ、その意図を挫いたり、戦列歩兵の突出を防ぐ役割もありました。

そんな破壊力のある大砲も弱点がありました。

その一つはマスケット銃と同じく、当時の大砲も滑空式で弾丸は丸く、弾丸の軌道が安定しなかったこと。

また、大砲自体が重く、その移動には人馬の力を必要とし、一度配置したらなかなか移動ができないという機動性の低さです。

ですから、大砲の配置場所が司令官にとって重要であり、できるだけ見通しがきく高所へ配置し、敵より先に大砲の射程や斜角に優位な位置を確保するかが勝敗を左右しました。

その大砲(砲兵)の運用によって多くの勝利を収めたのがナポレオン・ボナパルトです。

ナポレオンは若き頃士官学校に入学しますが、当時の花形の騎兵科や歩兵科ではなく、砲兵科でした。

しかし、彼はそこで砲兵の有効な運用を身につけることができました、ナポレオンは士官学校時代に数学が得意だったといいます。

大砲の弾道は三角法(数学)を使います。

彼の数学の才能が大砲の運用に興味を持たせるものだったのかもしれません)。

特に有名なのは、ナポレオンの才能を世に知らしめ、将軍へのきっかけを作ったトゥーロン攻囲戦でしょう。

彼は砲兵隊長としてトゥーロンに着任、ツゥーロン港を封鎖するイギリス艦隊を、狙い撃ちできる優位な位置を確保し、大砲によってイギリス海軍を撃退するという、彼の出世のきっかけとなった戦いでした。

ちなみに彼がワーテルローの戦いで勝利できなかったのは、雨で地面がぬかるんでおり、砲兵をうまく展開できなかったことが敗因の一つとも言われています。

※戦列歩兵、騎兵と同じように映画「パトリオット」、「ワーテルロー」が参考になります。

陸ではないですが、戦列艦(当時の軍艦)の大砲の運用法として、映画「マスターアンドコマンダー」も有用な資料になると思います。

おわりに

以上、代表的な3つの兵種とその大まかな運用法について書きましたが、その他にも現代で言うスナイパー、猟兵という兵種もありました。

これは、当時少なかった、命中率が高いが装填に時間が掛かるライフル銃を持ち、散兵として運用されていました。

そしてライフル銃が普及するにつれて、戦列歩兵の戦術は廃れていくことになります。

それを決定的にしたのはアメリカの南北戦争でした。

命中率が良くなった銃、つまりライフリング(線条)された銃を戦列歩兵が持つことにより、死傷率が格段に高まったのです。

これによって散兵戦術、分隊など少人数の兵単位での戦術に切り替わっていきます。

現代戦での歩兵戦術はその極致といってよいでしょう(テロ対策部隊、グリーンベレーなど)

以上概略ながら17~18世紀前半の兵種について概観しました。

戦史研究家によっては、この時代は戦術の巧みさや司令官の戦術眼が問われることの多い、いわば「戦争(戦術)の芸術」とよばれることもあります。

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