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諜報機関と忍者の伝統

2015年4月2日 石川 ミリタリーコラム

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近頃は、「情報化社会」などと言って、パソコンだとかITといった種類の話題が新聞や雑誌をにぎわせるようになって久しいご時勢です。

しかし、その「情報」という言葉がそもそも軍事用語であったことをどれだけの人々が意識してこれを使っているでしょうか。

情報とはすなわち「敵情報告」のことで、その前後一文字づつ「敵」と「告」が取れて「情報」という言葉になった。

要するに、戦いの場におけるいわゆる「斥候」が情報という言葉の元なのです。

戦場に出た者でなくとも少し想像力を働かせれば、斥候、敵情報告というものがどれだけ戦いの戦況を左右するかはお分かりでしょう。

一対一の決闘であるならばまだしも、集団対集団の戦であれば単に行き当たりばったりで敵を殲滅するのみではどうにもなりません。

それなりに築いた戦略の下に統率のとれた軍事行動をしなければ、どれほど強力な兵器を持っていようと、兵士がいかに強靭な精神力を携えていようと、戦に勝つことはできないのです。

そして、そうした戦略はまず、自分達の状態、敵の状態を把握し、状況を何事か限定させねば構築しようがありません。

これは孫子の「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉からも、情報という意味の英語がinformation・・・つまり、「形式へ入ってゆく」というニュアンスを含んでいる事からも、戦いの普遍的な真理であるといえましょう。

そもそも、敵と味方の状態を解釈し、状況を限定することなしには、「果たして何をもってこの戦いの勝ちとするか?」というヴィジョンを持つことができいないでしょう。

これでは、いかなる軍事的パワーも宝の持ち腐れです。

ある状態を味方にとって好ましい状況へ移行せしめる物理的な暴力行動の事が、とどのつまり軍事行動なのですから。

いわゆる斥候という意味での敵情報告の重要性は上で示したとおりですが、これは戦場になってはじめて生じる力学ではありません。

何故って、戦線、戦場ともなれば既に状況は限定されているわけでしょう。

しかし、どのような場所で、時で、状況で軍事衝突が起こるかという、「戦いの舞台」の構築からして既にせめぎあいが始まっているのが人の常なのです。

 ですから、強力な兵器を大量に持つ国は、同時に「情報機関」というものに予算や熱量もほぼ同程度ないしはそれ以上にかけるわけであります。

例えば、米国のCIA、イスラエルのモサッド、イギリスのMI6、ソ連のKGBなど、対外的な情報収集やあるいは情報操作などを組織的に行えるような体制を構築している。

また、パソコンやIT技術の話に戻ると、これらの技術は元々軍事用に開発されたものだったわけです。

あるいは、人工衛星なんてのもその類で、冷戦の最中で打ち上げられたソ連のスプートニク1号が軍事的な衝撃を与えたのは、ロケット発射技術と共に情報戦の位相もあった。

人口衛星というものは、別に衛星放送をやるために打ち上げられたわけではないのですね。

ところで、先にあげたような外国の情報機関にあたる日本の機関は何かと問われればいわゆる「公安」ということになりますが、日本の公安には決定的に欠けている部分があります。

というのも、日本の公安は国内の情報を収集する能力には非常に長けているが、国外の情報収集はほとんどこれを行っていない。

あくまで国内の治安維持にその焦点がある。

そういう意味では、日本はCIAやKGBのような機関は持ち合わせていないのです。

さて、以上のことから、日本は国際情報や諜報活動において遅れているなどと叫ばれるわけでありますが、果たしてこれは本当に「遅れている」ということなのでしょうか。

例えば、先の大戦の最中のことではありますが、日本には「陸軍中野学校」というエリート諜報員を養成する学校がありました。

中野学校出身で有名なのは、小野田寛郎元少尉でしょう。

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小野田元少尉は1974年まで日本の敗戦を信じず、フィリピンで戦い続けた人です。

戦後30年近く経って帰国して国民的騒ぎになった点では横井庄一さんと似ていますが、その性質はだいぶ違う。

それは、小野田元少尉が中野学校の出であり、エリート諜報員としての教育を受けていたところに起因します。

中野学校ではエリート諜報員を育てるため、当時の他の兵学校とはかなり違った教育がされていました。

たとえば、「生きて虜囚の辱めを受けず」といった一般の教育とは違い、「捕虜になろうがなんだろうが生き残り、スパイ活動を続けることこそむしろ報国である」と教育されたわけです。

ですから小野田元少尉はそのようにした。

つまり、日本の敗戦の報も日本側の「謀略」で、日本の政府や軍隊は大陸に逃れて反撃の機会を伺っているはずだから、自分も敵に取り囲まれて孤立しようが自決なんぞせず任務を続行し、後にあるはずの味方の反撃に加勢できるようにしなければならない・・・と考えたわけです。

要は、あくまでエリート諜報員の思考なのです。

他に中野学校の教育の特徴としては、シャバっけを失わせないように軍人的な所作をさせず、知識の偏りのないよう学問的知見を広くし、敵性言語であるはずの英語を含めた外国語学習にも力を入れるなどといった点です。

これは別に開明的であるだのという眠たい話ではなく、よく考えれば諜報活動の実践に必要なことでしょう。

また、諜報活動の実践ということであれば、中野学校では「秘密戦」の講義と実践を次の三つの概念に分けて教育していました。

まず『諜報』は、内外の情報の収集のこと。

続いて『謀略』は、敵の情報をかく乱するいわば情報操作。そして『防諜』は、敵の仕掛けてくる諜報や謀略を察知し、これを逆に利用する活動のことであります。

この『諜報』『謀略』『防諜』は、現代でも通用するようなスパイの戦略観でしょう。

例えば、少し前の話ではありますが、CIAとNSAの局員でスノーデンという男がいました。

スノーデンは米政府による個人情報収集の手口なんかを告発した男ですが、すると当然逮捕状がでるので、彼は国外に亡命しようと考える。

そんなスノーデンに対し、ロシア政府は滞在許可書を与えたわけです。

ロシアは別にスノーデンの事が可哀想だと思ったから助けたのではなく、スノーデンが米政府の情報を持っていると考えているから『諜報』の意味で滞在させたわけですね。

しかし、事はそれに留まらず、そのスノーデンはCIAの仕掛けた『謀略』かもしれない。

つまり、先の告発もいわば「演技」で、実のところスノーデンを使ってロシアへ嘘の情報を流す『謀略』のための布石だったのかもしれないということ。

もうひとつさらに言えば、仮にスノーデンが『謀略』であったとして、もしロシア政府がその謀略を見抜いた上で「信じたフリ」をして米政府をかく乱せしめようとすれば、これは『防諜』ということになります。

現に今行われている情報戦も、諜報、謀略、防諜といった観念でかなり俯瞰できるしょう。

もっとも、スノーデンの話にしても、実際の所は素人の我々には知りようがないですけれど。

中野学校の教育を見て分かるように、日本には元々情報活動に対する極めて実践的な意識があった。

ですから、「遅れている」のではなく「失われた」と評するべきでしょう。

また、この情報活動の実践性は先の大戦中にて突発的に現れたものではありません。

有名な所では、日露戦争の明石元二郎大佐の諜報活動なんてのもありました。

明石大佐は、山縣有朋から100万円(今の価値で言うと数百億円)の工作費用を託され、ロシアにて諜報活動を行います。

明石大佐はその莫大な費用でもって第一次ロシア革命を扇動する。

何故、そんなことをするかと言えば、敵方で反政府革命がおこれば軍や政府が内的な治安維持に向かわねばならぬ為、味方の戦局に有利だからです。

こうした情報戦における実践性は、果たしてどこから来たのでしょうか。

それは、輸入モノではなく、戦国時代における忍者、あるいは忍者の重要性を知っていた武士の知見からきたように思われます。

戦国時代にて忍者の情報活動が非常に重要な意味を持っていたことは誰しも頷くところでしょう。

その後、徳川時代には忍者は主に隠密として生きたが、明治になって消滅したように思われている。

しかし、忍者として生きた者達は別に明治になってすぐ死んだわけではなく、警官や兵隊になってゆくのです。

あるいは、軍隊や政府の要職についた多くは、忍者の重要性を一番わきまえた武士だった。

だから、当然情報戦の重要性も、その際も伝統としてわきまえている。

しばしば日本は「侍の国で潔い」という風に日本人も思っていて、それはそれで一つの側面ですが、情報戦を重視する忍者的な側面もまたその伝統の一端を担っているのであります。

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石川

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