戦列歩兵を生んだ先込めの銃弾
銃火器が発明されて以来、その銃身から発射される銃弾は銃本体と共に絶えず進化と発展を続けてきました。
少しでも歴史と武器に詳しい方ならば、初期の銃弾は球体の粒で銃口から棒で押し込んで使っていたことをご存じかと思います。
当然、そのような構造の銃では現在のような命中精度を出すことは難しく、当時の銃はイメージと反して長らく近接武器に近い形で使われていました。
中世~近世あたりの歴史を扱った戦争映画などでもおなじみの演出ですし、絵や文献も多く残っているので、目にしたことがある人もいるかもしれません。
そして、その極みともいえるのが、先込式のマスケット銃に銃剣を装着し、兵士たちが相手にの目と鼻の先まで接近し、徒党を組んで発砲しあう戦列歩兵です。
マスケット銃は一発撃つと、次の発射まで時間がかかるため、撃ったら後は銃剣を使って戦うというしかない戦列歩兵という戦い方は凄惨な光景を生み出しました。
軍によっては、命令に従わずに後退すると自軍から見せしめと懲罰として処刑されることもあり、まさに進むも地獄、ひくも地獄です。
なお余談ですが、日本の戦国時代に活躍した火縄銃は、当時の銃としては世界的に見て、かなり精度が高く射程が長かったのだそうです。
円錐弾の登場
そんな射手にとって悪夢のような時代が数世紀続いたあと、現代の銃弾の基礎となるような形状をした弾、円錐弾登場します。
この銃弾は19世紀アンリ=ギュスタヴ・デルヴィーニュという人物が考案したもので、これ自体も画期的な発明なのですが、時代の空気や科学技術の進歩も関係し、ここから怒涛の勢いで銃弾の進化が進んでいきます。
ミニエー銃とライフリング
この発明からしばらくしたあと、円錐弾にミゾを刻むという改良を思いついた人物が現れます。
円錐弾は飛距離が増した半面、安定性が欠るという欠点があり、ミゾを刻むことにより改善したのがこの銃弾というワケです。
発明者の名前はフランソワ・タミシエ、先述したデルヴィーニュと同じく、フランスの軍人ですが、彼が発明した弾は、ミニエー弾とよばれ、この銃弾を使用する銃は、ミニエー銃と呼ばれています。
ちなみに、このミニエー銃はマスケット銃にライフリングを施した、ライフルドマスケットと呼ばれるものでした。
この銃弾は、まさに銃火器界の革命といってもいい存在で、それまでの銃器の射程距離を数倍にまで伸ばす威力を持っていました。
なお、射程距離と精度のほかに、これまで頭痛の種だった装填時間の短縮にも、この弾は成功したのだそうです。
ちなみに、日本の幕末にもこのミニエー銃は入ってきており、諸藩で使用されていたようです。
この時代は映画やドラマのイメージに反して、刀よりも銃器が多用されるようになっており、開国を決め反対派の弾圧を行ったことで反感を買ってしまったことで暗殺された、大老の井伊直弼も実はピストルで射殺されたというトリビアがあります。
薬莢の登場
私たちが銃について考えたとき、やはり銃大国であるアメリカ、その祖先ともいえるイギリス、あるいは日本に銃火器をもたらしたポルトガルといった国を連想しがちですが、意外にも銃弾の現代的な進化というものは、フランスが広めたものが多いのです。
これ以降の銃弾の進化は、形状の進化というより、仕組みの進化といった様相を呈していきます。
ミニエー弾の登場により、銃弾はほぼ現在の形になったとはいえ、当時の銃弾には、まだまだ欠けている要素が多くあります。
例えば、銃弾部分の後ろに詰まった火薬、そしてその両者を覆う薬莢の部分、この2つは一体、いつごろ登場したのでしょうか。
これまで通り、両方ともフランスから広まっていった・・・といいたいところですが、そうではありません。
薬莢の始まりは、プロイセンから始まります。
ドライゼ銃
1836年にプロイセンで、ドライゼ銃(Dreyse Needle Gun)が誕生します。
この銃は先述した薬莢付きの弾薬(ただしこのときの薬莢は金属ではなく紙製)とボルトアクション機構を有した名銃で、ほぼ現代におけるライフルの定義を満たしています。
この武器は、それまでの先込め式から一転、今の銃とおなじような装填が可能になっており、先述したミニエー銃以上の連射速度を誇っていました。
それまでの戦列歩兵戦術を過去の遺物にしたこの名銃により、プロイセンは国土の大幅な拡張に成功します。
ピンファイア式の銃弾
ただ、銃大国フランスもそんなプロイセンに負けておらず、ドライゼ銃の誕生と同じころ、ピンファイア式と呼ばれる銃弾を生み出すことに成功します。
先進的とはいえ、紙を使うというチグハグな感じが否めないドライゼとちがい、コチラは金属製の薬莢で、銃弾と火薬を梱包するというものでした。
そう、現代の銃弾の誕生です。
ただしこのピンファイア式は、当時としては高性能であったものの火薬に着火するためのピンが露出しているという構造上、暴発がとても多く、その後より安定したリムファイアが誕生すると、またたく間に衰退してしまいました。
ただ衰退するまでのあいだピンファイア式の銃は大量に生産され、当時のフランス植民地であったり貿易相手の国へと輸出されていったのです。
ロケットボールとセンターファイア
1848年にはウォルター・ハントによってロケットボール式という機構も発明されたのですが、これは構造上の限界があることから、あまり普及しませんでした。
ただこのロケットボールこそが次世代銃弾の基礎となります。
ルイス・ジェニングスによって改良されたこの銃弾の特許を購入したS&W社は、ロケットボール式の改良を重ね、現代でも使用されている弾の基礎を誕生させることに成功したのです。
リムファイアの方はというと、先代であるピンファイアほど急激な衰退は起こらず、主にガトリング砲など大型火器の弾として使用されるようになっていきました。
ただ最終的にセンターファイア式の方が利便性が高いと判断されたため、その普及と共にリムファイア式の銃弾は消え去ってきました。
ただ不発が起こりにくいなの利点もあって、現在でも大量生産される小口径の弾などではリムファイア形式が使用されています。
このセンターファイアこそが、今私たちがドラマや映画などで目にする銃弾そのものなワケですが、この仕組みにも実はイギリスとアメリカ、あるいはヨーロッパ諸国で微妙に違う仕組みが採用され進化しています。
英米のものはボクサー型、欧米式はベルダン型と呼ばれており、銃弾に発火金を内蔵しているか否かがその違いです。
実現しなかったケースレス弾
最後は、今では歴史の渦の中に消えてしまったアダ花ともいえる存在、ケースレス弾について解説します。
この銃弾は、その名前の通りケース=薬莢が無いことが特徴で、これまで語ってきた内容に逆行しているようですが、理論上はコストや重量削減、加えて薬莢の排出を行う必要がなくなることから生まれる銃構造の単純化など、まさに現代軍隊が抱える問題を一層できるポテンシャルを持っていました。
ゆえに一部企業では開発が進んでいたのですが、その結果は散々でした。
当時の技術では、発射の際に生じる熱を解決できず、連射を行い銃内部の温度が上昇にともない銃弾の暴発が多発したのです。
最終的には、そのような問題もある程度はクリアされたのですが、各国軍はその性格上、より安定した技術を求めた結果、ケースレス弾に日の目が当たる機会はなくなっていましました。
ただ最近、米軍内にて電磁機構によって作動するケースレス銃のテストが進行中という情報もあります。
もしかすると数十年の時を経て、ケースレス弾が再評価される時代がやってきたのかもしれません。