丹賀砲台園地は、大分県南部、佐伯市の鶴見崎にある旧日本軍の構築した豊予要塞の砲台跡のひとつです。
佐伯市街を抜け、米水津から県道604号線を鶴見崎へ、ちなみに鶴見崎は九州最東端の地でもあり、九州で最も早く初日の出が見られることでも知られています。
左手に海を見ながら海沿いの道を進むとトンネルの手前、左側に「丹賀砲台園地」の看板が見えます。
砲台を見るには入場料を払わないといけないのらしいのですが、受付には誰もいない。
とりあえず駐車場の奥にトイレがあり、用をすまして戻ると砲台の登り口に他の観光客と談笑する受付の方らしき年配の方が・・
料金の件を尋ねると、現在リフトが故障しているため、料金は頂いていないとのこと。
内部に足を踏み入れると年代物のリフトが。
錆びまくってますが平成になってから設置されたリフトだそうで、自分の年を感じます。(汗
リフトの横の階段を上りますが、かなりの急こう配で年配の方にはキツい気がします。
(まー、人の心配をしてる場合じゃない気もしますがw)
階段の幅は人とすれ違うにはかなりの狭さのですが、幸いにも誰も降りてきません^^
途中、急こう配から斜坑の角度がゆるやかになるポイントがあって、このあたりでリフトの必要性を痛感する人も多いでしょう (;´Д`)
階段の段数は170段あるとかないとか。
階段を上り、斜坑を出ると砲塔につながる通路があり、奥に太陽の光が見え、そこがドームになっている砲塔となります。
丹賀砲台は昭和4年(1929年)1月竣工し、その4年後の昭和8年(1933年)に日本海軍の巡洋艦「伊吹」の後部砲塔「30cmカノン砲」が設置されました。
巡洋艦「伊吹」は明治40年(1907年)に呉海軍工廠で浸水し、第一次世界大戦で活躍した戦艦だそうです。
砲塔につながる通路の右にはその昔、貯水槽のあった場所へつながる通路があります。
左右の壁には当時の資料や、丹賀砲台の歴史などのパネルが展示されています。
通路の壁は思いのほか白く、きれいに塗装されていました。
砲塔へやってきて見上げるとガラスで覆われたドームから青空が見えます。
中央には砲塔の上部に上るための鉄製のらせん階段があります。
砲塔の上から見た内部のコンクリート壁とらせん階段。
昭和16年の腔発事故で破損した壁はそのままの状態で残されているそうです。
網の目に組まれたドームを支える鉄骨がドーム状のガラスを支えています。
丹賀ドームを外に出ると、丹賀砲台園地という公園になっていて、海を見渡せる場所になっています。
日本軍の真珠湾攻撃で始まった大東亜戦争の直後に豊予要塞司令部から下された命令により、昭和17年1月11日に30センチカノン砲の実射訓練が行われました。
この実射訓練で発射した砲弾が砲身の内部で爆発(膣発事故)し、16名死亡し、事故により砲台は使用できなくなります。
亡くなられた方たちの遺品を埋めて忠魂の碑は建てられており、裏側には膣発事故で散った兵士16名の氏名が刻まれています。
石碑の左には地下弾薬庫の入口があって、内部はコンクリートで覆われた広い空間となっていました。