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重装弓騎兵

弓という武器は、人類のかなり古い時代から、遠隔武器の主役として活躍してきました。

強力な弓から繰り出される矢は、かなりの重鎧まで貫通し、致命傷を与えるに十分な威力が有ります、しかし両手で構えて引き絞り、狙って、撃つという動作が必要なため、構えながら走り回るというのは原則無理です。

また、弓を両手で構えるために盾を構えることができず、射撃兵だが射撃に弱いという状態、さらに、弓を射る動作の関係上、あまり重装備にすることも難しく、矢と弓という嵩張るものの携行を考えると、近接戦闘用の武装は最小限とならざるを得ませんでした。

そうなると、歩兵に近接されてしまった時が怖いわけで、別の方面から見ると、射撃を加えるというのは、出来る限り敵の無防備な方向から行いたいものです。

そうなると、弓兵にも機動力を持たせたいと考えるのが自然な流れでした。

弓騎兵の登場

構えながら走り回るのが難しいなら、馬に乗せて、その上で射撃を行う、いわゆる弓騎兵の登場です。

しかし、この弓騎兵も一般化するまでは、それなりに長い道のりが必要で、まず、問題となったのは、馬の上で自分の姿勢を安定させるというのが難関でした。

補助具無しでこれができたのは、生粋の騎馬民族ぐらいで、その他は馬に乗るだけで精一杯、せいぜい近接騎兵が手投げやりを装備しておくのが関の山で、その安定した騎乗射撃を可能にしたのが「あぶみ」の存在です。

馬上で両足を踏ん張ることができる効果は非常に大きく、この発明以降騎兵というものが一般化し、同時に弓騎兵という兵科も戦場で多く登場するようになります。

さて、射撃という遠隔攻撃手段と、騎乗という機動力を併せ持つ、弓騎兵という兵科を考える上で、要求されるのは一にも二にも機動力です。

馬や騎乗スキルの条件が同じなら、基本的に荷物が少ないほうが軽快に動けます。

ただでさえ人という大荷物を背負っていますので、ここに重い鎧や武器を携行すれば、その分機動力が下がっていきます。

突撃を行う重装騎兵であれば、その重さ自体が武器になるのですが、一撃離脱を基本戦術とする限り、軽装を選ぶのが普通です。

実際、世界中のあちこちで用いられた弓騎兵はその多くが軽装でした。

特に、ユーラシア大陸を席巻したモンゴル軍では、軽装弓騎兵による撹乱、誘引と重装騎兵による突撃を使い分けて敵軍を殲滅していきます。

しかし一方で、導入も高価なら維持も高価である騎兵に、出来る限りいろいろな役割を果たしてほしい、という要求も存在し、また、騎兵は高価であるため必然的に富裕層や貴族階級、支配階級が担うことが多く、その生還率を高めるために重装にして防御力を上げようと考える向きも有ったのです。

こうして重装化した騎兵の代表格は、アッバース朝の頃に出現したマムルーク、東ローマ帝国で用いられたカタフラクトなどが存在し、いずれも専業軍人として高度な訓練を施されたエリート兵であり、重装騎兵としてあらゆる任務をこなすことに成ります。

その中に、弓を使うというのも入っていて、重装弓騎兵という形になるわけです。

こうした重装弓騎兵は、遠距離攻撃から突撃、撹乱、追撃とあらゆる任務をこなすマルチロールファイターとして戦場を支配しました。

鎌倉武士

そして、こうした重装弓騎兵に名を連ねるのが日本の「鎌倉武士」です。

日本における武士は、「弓取り」と呼ばれる存在であり、そのメインウェポンは弓矢でした。

By: Nikita

そして、徒歩では運動が困難なレベルの重装鎧「大鎧」を着こみ、馬に乗って射撃を行い、必要有れば太刀や長刀を振り回して敵陣へと切り込む、まさにマルチロールファイターとして戦う存在でした。

メインウェポンとして扱う弓も、馬上なのに長弓、しかも竹をベースにした複合長弓という長射程、高貫通力、速射性高、ただし取り回し悪く要熟練というロマン武器。

スペックを見てるだけで一騎当千というにふさわしい、もはや「ぼくのかんがえたさいきょうのへいし」と言っても過言ではない、この「鎌倉武士」がその戦闘力を証明したのが、元寇でした。

圧倒的兵数で上陸を試みる元軍に対して、鎌倉武士たちはスペックと、高練度をを存分に活かした機動打撃戦術を仕掛け、散々に元軍を叩きます。

離れた位置では強力な弓で敵を削り、崩れたところや弱い所が見えれば、突撃をかけてさらに崩し、囲まれそうになれば機動力を活かして離脱、そして再度別方向から攻撃を仕掛ける。

これは、相手が上陸戦であるというかなりの戦術不利を抱えて、しかも尖兵となったのが従属国の朝鮮や漢民族兵ばかり、加えてモンゴル最強の騎馬戦術が全く使えない、という有利な条件が重なったものであったのは確かです。

しかしそれを差し引いても、数の差を跳ね返す戦闘力と、練度の高さを見せつけた鎌倉武士は、元に上陸拠点を作らせないまま、防ぎ続けることに成功します。

確かに世界水準から見ても、恐ろしい戦闘力を誇る兵で有ったようです。

コストのかかる重装弓騎兵

しかし、鎌倉武士にしても、マムルークにしても、カタフラクトにしても共通する泣き所が「コスト」です。

まず騎兵という時点で、歩兵とはコストが全然違ってきます。古代から中世において馬、それも軍馬といえば現在の高級外車にも匹敵する資産でした。

そして、それを維持する費用は普段からかなり高いものでありますし、戦場においても馬がいるだけで兵糧が倍以上必要になる計算です。(糧秣という扱いですが)

そして、上に乗っている兵士の装備もまた、重装となると高級品です。

マムルークは板金も用いた全身鎧、カタフラクトも当時、最新技術のラメラーアーマーを全身にまとい、鎌倉武士は見た目も鮮やかな、大鎧をまとっていました。

全ての品が手作りで作られていた時代、恐ろしいほど工数がかかる鎧というのは、一家相伝されるようなレベルの財産でした。

超高級財の軍馬に乗り、やはり高級品の全身鎧をまとっている時点で、すでにコストのカタマリのような存在ですが、その二つすら上回ってコストがかかっていたのが、中身の戦士でした。

馬に乗りながら弓を撃ち、そのうえ、馬上近接戦闘技能も磨くとなると、そのために必要な訓練期間というのは、気が遠くなる数字になります。

具体的には、これら重装弓騎兵はどれも専業か、ほぼ、専業の戦士であり、幼い頃から厳しい訓練を重ねてきている場合がほとんどでした。

その訓練期間の間、その他の生産活動に参加できないと考えれば、その社会的なコストはかなりの物です。

そしてなにより、そうした長期の訓練が必要な兵士は、補充が簡単ではありません。

遠距離から近距離まで対応できて機動力もある。

実現できれば、確かに最強と言って良い兵種ですが、その育成と維持にかかるコストは、恐ろしい物が有ります。

このため、各地で確かに存在した重装弓騎兵という兵種ですが、結局は主流となり得ないまま、一部のエリート部隊や、支配階級を兼ねた戦士の姿としてのみ存在しました。

結局は、弓なら弓に特化させた軽装弓騎兵や、近接なら近接に特化させた重装騎兵、槍騎兵などの方が、コストパフォーマンスに優れていたということでしょう。

中世でトップクラスの合理的軍組織を運営していたモンゴルが採用してなかった時点で、推して知るべしというような気もします。

速くて硬くて死角なし」という強さをいっぱいに詰め込んだ「重装弓騎兵」。

もし自分が王様だったら、そういう部隊を一つぐらいは設置したくなる誘惑に駆られるかもしれません。

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