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急造戦車にも五分の魂

2015年11月12日 レプマート- ミリタリー雑学

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戦車と言えば、国の命運を賭ける兵器として、綿密な設計のもとにテストを繰り返して開発し、満を持して配備・・・と通常なるはずですが、中にはのんびり構えていたら、世の動きが急に変わり、しかたなく「テキトーに作ったけど、これでもないよりましだよねっ」とばかりに世に送り出されたとしか思えない戦車もいくつか存在します。

そのような戦場の徒花をいくつか紹介したいと思います。

М3中戦車(アメリカ)

まずはアメリカのМ3中戦車です。アメリカ陸軍は、天才エンジニア、ジョン・ウォルター・クリスティーが示した先進的な戦車の案を生返事で相手にせずに、35ミリ砲搭載のМ2戦車の改良をのんびりとやっていました。

しかし、第二次大戦のヨーロッパを電撃戦で席捲したドイツ軍機甲部隊を目の当たりにし、急遽大きな大砲を積んだ戦車の開発に着手します。

しかし、大きな砲を積んだ砲塔の開発は一朝一夕にできるものではありません。

そこで、車体の右側に出っ張りを作り、そこに強引に75ミリ砲を乗っけてしまい、何だか大航海時代の帆船の舷側から突き出た大砲みたいにしてしまいます。

いくら必要に迫られても、ドイツ軍なら死んでも作らないような無骨なデザインとしては、ソ連のKVIIといい勝負です。

型によっては75ミリ、37ミリ、機銃と砲塔が三段重ねになっていて、「親ガメ子ガメ孫ガメ状態」となっています。

急造なのは外見だけでなく、その影響は内部構造にも色々見て取れます。

シャフトが戦闘室内を通っているわ、操縦手のシートは変速機の上に乗っかっているわ、ディーゼルエンジンタイプではエンジンが中に突き出しているわで、よくも人権意識の高いアメリカ人が我慢したものです。

しかも皮肉なことに、М4シャーマンの登場により、この戦車をアメリカ軍自身が使う機会は少なかったのです。

その多くがイギリスに供与され、北アフリカでは貴重な対戦車戦力として活躍しました。

また、イギリス製の巡航戦車は榴弾砲を撃つことが出来なかったため、そういう点でも重宝されたようで、一般に知られる「リー・グラント」という名は、アメリカではなくイギリス人が付けたものです。

また、中古品のお定まりのコースとして「レンドリース」の兵器として、ソ連にもかなりの数が供与されました。

ロシア人はブツブツ言いながらも故障が多く乗り心地が悪いT34よりはマシだということで我慢していたそうです。

急造戦車の代表格 オデッサ戦車(ソビエト)

さて、バルバロッサ作戦によりドイツの尻馬に乗ったルーマニアは黒海の港町オデッサを包囲しました。

オデッサには装甲戦力が乏しく、さりとて海上補給では重装甲の戦力も、その原料も運べませんでした。

そこで「1月革命工場」のロマノフ工場長は、トラクター(STZ-5トラクター)を改造して急造の戦車を作ることにしました。

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ここに急造戦車の代表格(?)「オデッサ戦車」が誕生することになりました。軍用トラクターに装甲板(と言っても普通の鉄板や木の板を重ねたものだったらしいのですが)をすっぽりとかぶせる簡単な改造であったらしいのです。

しかし、最初に作られた3両には37ミリ砲や45ミリ対戦車砲が搭載されていたそうですが、この装甲では実戦では対戦車砲ならずとも撃ちぬかれてしまいます。

ですから、実際は夜間に敵から見えるように動き回らせて戦車があるように見せて、ルーマニア軍の攻勢の意思を鈍らせる、という使い方をされたそうで、この作戦はある程度成果を納めたようです。

ドイツ軍の手前、単独でオデッサを陥落させると大見得を切ったルーマニア軍でしたが、装備が貧弱なために攻略はなかなかはかどりませんでした。

そういう状況で、敵陣営でうごめく見たこともないシルエットの戦車らしきものを見てキャタピラの音を聞けば、攻撃をためらおうというものです。

オデッサ戦車は直接の戦闘に余り参加しなかったのが幸いしてか、合計68両のうち、生き残ってルーマニア軍に14台が接収されたそうです。 

第2次世界大戦の初頭、1939年の「冬戦争」で小国フィンランドは大国ソ連相手に大善戦しました。

しかし、元来装甲兵器は少なく、ドイツから3号突撃砲G型が供与されるまでは、戦力と呼べるような有力な戦車は鹵獲したソ連の戦車という皮肉な状況でした。

その中で急増されたのがBT42突撃砲でした。イギリス製の4.5インチ榴弾砲という、当時でも最早骨董扱いされそうな古い砲を、鹵獲したBT7快速戦車に載せたものです。

ソ連の鹵獲品と、イギリスの援助兵器(というより古い兵器の在庫処分と言ったほうが当たっている気がしますが)を組み合わせて戦力にしようという試みでした。

しかし、快速戦車の車台に太い砲を搭載したために不格好な外見になり、小型版のKVIIといった風情でした。

これでも性能が良ければまだ救われるのですが、搭載した砲が旧式であることが災いし、発射速度が遅い上に長砲身ではない榴弾砲であるために、ソ連のT34相手では明らかに対戦車能力が不足、ベースがBT7ですから、装甲も申し訳程度のものでした。

しかし遂に1944年、ドイツを破ったソ連はファンランドにも雪崩を打って進攻し、フィンランド第2の都市ヴィープリに迫りました。8両のBT42も防衛の一翼を担うべく出撃。

しかしながらソ連のT34やKVISには全く歯が立たず、命中弾は弾き返され、20ミリしかない装甲は安々と貫通されてたちまち半数を失って後退します。

これ以後、BT42は戦闘に使われることはなくなりました。

しかし、これが幸いして何両かは生き残ってフィンランドのバロラ戦車博物館で余生を送っています。

アーチャー対戦車自走砲

 第2次世界大戦も半ばを過ぎると、連合軍はドイツ軍戦車に対抗できる対戦車車両の開発を急ぐ必要がありました。

アメリカ軍のМ4シャーマンの76ミリ砲はタイガーⅠの装甲に通用しない場合がほとんどでした。

イギリスの17ポンド砲の対戦車能力の高さは知られていましたから、この砲を戦車に搭載できれば、とは誰しも考えるところです。

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しかし、シャーマンに17ポンド砲を積んだ「ファイアフライ」はまだ開発途上であり、他にも対戦車車両が求められていました。

そこで、対戦車戦闘には最早力不足となったバレンタイン歩兵戦車の車台に17ポンド砲を載せるというアイディアが生まれました。

発案から実戦配備まで1年以上かかっているので、「急造戦車」とは言えないかもしれませんが、これは開発のスピードがお世辞にも速いとは言えなかったという原因もあります。

ともあれ、長い期間をかけた急造戦車(?)アーチャーは完成しました。

長い砲身とバランスをとるために戦闘室が後方にあるのは、この類の対戦車車両にはよく見られるデザインです。

しかし、アーチャーが動き始めると、「よく見られる」デザインでないことがわかります。

何と、砲身とは逆方向に進み始めるのです。

つまり、アーチャーはバレンタインの車台のサイズの関係で、何と砲身が進行方向とは逆についているのです。

しかし、このおかしな配置は意外な効果を生みました。

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ろくな装甲を持たないアーチャーは一発敵戦車にお見舞いしたらとっととその場を離脱しなければなりません。

その際、この後ろ向きに進めることが大いに役に立ったということです。

 最近では、クルド人がイスラム国との戦闘で急造の戦車を作り、「砂漠のイモムシ」と自称しているという報道がありました。世に急造戦車の種は尽きまじ、といったところでしょうか。

 以上、さすが「急造」の名に恥じないはかない運命をたどったものも多いのですが、意外と健闘したものもあり、まじめに開発しても失敗作がゴマンとあることを考えると世の皮肉を感じずにはいられません。

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