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第2次イラク戦争と使用された戦闘車両

2003年から始まるアメリカ合衆国による第2次イラク戦争は、イラクに大量破壊兵器が未だあり、中東を危険に陥れ、イスラムによるテロ(アルカイダ)の温床となっている、との口実でアメリカ、イギリスを中心とする部隊が国連決議より先んじて攻撃を始めた戦争である。

本稿の①では本格的な戦闘が開始された2003年3月20日から、組織的戦闘が集結した4月9日までを概観し、②ではイラクのいわゆる治安維持活動(実際には掃討戦)の概略とそれに用いられた戦闘車両を紹介する。

①イラク侵攻作戦(通称「イラクの自由作戦」)

2003年3月20日の早朝、イラク戦争はフセイン大統領とその一族、イラク指導部を狙ったピンポイント爆撃で始まった。

発射された数十発の巡航ミサイルはフセインとその一党がいるとされる民家を壊滅させたものの、フセインの死を確認できず、フセイン殺害に失敗したアメリカは本格的な侵攻作戦を行う

当時のアメリカ合衆国大統領ブッシュは、同日に全世界に向けてイラクの大量破壊兵器を含む武装解除と、フセイン政権の妥当のために武力行使を行ったことの正当性をテレビ演説で訴えた。

また、対するイラクもフセイン自身がイラク国営テレビで自身が健在であり、徹底抗戦する決意を表明し、本格的な戦闘に突入していった。

3月20日の夜、クェートで準備を整えていたアメリカ、イギリスの陸上部隊がイラク領内へ進撃を開始、左翼はアメリカ陸軍の第5軍団、右翼にアメリカ第1海兵遠征軍(イギリス第一機甲師団を含む)を配し、総兵力15万人、戦車約500両は首都バグダッドへ進撃を開始した。

対するイラク軍は正規軍約40万人、戦車2600両、装甲車約1800両、自走砲約200両、火砲約1900門、武装ヘリ約100機の他、共和国防衛隊8万人、通称フセイン親衛隊と呼ばれる特別共和国防衛隊が約2万5千人、これに加えて、志願兵民兵組織がいた。

なお、開戦前にアメリカ第四歩兵師団がトルコよりイラクへ侵入、フセイン政権と敵対するクルド人勢力とともにイラク第3の都市モスルとその周辺の油田地帯を占領し、北部からもイラクに侵攻作戦する作戦を立てていたが、直前になってトルコ政府が自国通過を拒んだため、トルコ方面でなく、スエズ経由でクウェートへ侵攻した(もちろん、イラク北部からの侵攻を断念したわけでなく、第173空挺旅団特殊部隊がクルド人自治区へ入り、反対製勢力を糾合して周辺地域を制圧しながら首都バグダッドを目指した)

イラク軍に対し数に勝る米英軍は、左翼の第5軍団がユーフラテス川西川の砂漠地帯を一気に突破してバグダッドの攻略を目指し、右翼の第1海兵遠征軍は国境近くのルメイラ油田を制圧しつつ、第5軍団の東側を進撃し、左右両翼でバグダットを東西から包囲する作戦を取った。

この作戦はある意味電撃戦であり、その作戦の侵攻スピードが要求された。

それは、今回の作戦がフセイン政権の打倒が目的であり、前回のイラク戦争ではフセインに身を隠す余裕を与えてしまったことを教訓としたからである。

そのため、アメリカ軍は世界最強戦車といわれるM1A1戦車を先頭に「サンダー・ラン」と呼ばれる電撃戦術を採用した。

これは、時間のかかる都市包囲戦は他の部隊に任せ、第5軍団の主力の第3歩兵師団には進撃途上の敵を制圧する任務に専念させ、かつ、航空部隊が第3歩兵師団と戦闘状態になる前に戦力を徹底的に削り、高速進撃するというのが基本戦略であった。

もちろん、前回のイラク戦争のようにアメリカ軍は偵察衛星、無人偵察機によりイラク軍の防衛ラインや部隊配置を掌握しており、徹底的なピンポイント爆撃でほとんどのイラク軍兵器は陣地内で破壊されてしまっていた。

この戦術は成功し、第5軍団は順調に進撃、2日後にはバグダット南方の要衛ナジャフ近郊をに迫った。

巡航ミサイルを含む大規模空爆によって地上部隊の快進撃は続くものの、このナジャフ周辺ではイラク軍も防衛戦を張って徹底抗戦を繰り広げ、最大規模の地上戦が繰り広げられた。

また、砂嵐のために航空作戦に支障が出始め、地上部隊への援護が十分でない状態が続く、これを機にイラク軍は反撃に出るも失敗し、米英軍も航空作戦の援護不足を補うため、10万人の増加派兵を決定する。

3月28日、砂嵐が収まったのを機に米英軍が再び進撃を開始。

4月に入ると航空援護のないイラク軍の防衛線は次々と突破され、4月3日には特殊部隊がバグダッド市内へ潜入、同4日には陸上部隊の本格的なバクダッド攻略戦が始まり、同7日ついにバグダッド中心部を制圧、4月9日ついに首都は陥落する(イラク第2の都市バスラはイラク軍が頑強に抵抗し、アメリカ軍はイギリス軍にこれを任せて進撃していたが、2週間後の4月7日にようやく陥落させる)

②イラク治安維持活動

2003年3月から始まった第2次イラク侵攻作戦は米英軍の圧倒的な戦力とさらなるハイテク兵器、圧倒的な戦力差により短期間に終結した。

4月9日のバクダット陥落、その後約1ヶ月の掃討戦の後の5月1日、アメリカのブッシュ大統領は大規模戦闘終結宣言を出し、一応の決着はついた格好になった。

しかし、フセイン大統領は依然行方不明のままであり、その後も残存兵力のゲリラ化による小規模戦闘、自爆テロ攻撃、ゲリラ戦が数多く発生し、イラク国内の混乱は収まらなかった。

10月16日、国連安全保障理事会はアメリカが提案したイラク復興決議を採択(日本もイラク復興支援特別措置法を成立させる)、多国籍軍によるイラクの治安維持活動が行われることになった。

その概要として、派兵した各国が担当区域ごとに治安任務につき、ゲリラなどが多発する準戦闘区域には米英軍が中心になって掃討戦を展開し、比較的治安の良い区域には日本の自衛隊のような実戦経験のない部隊や世論の反対が強く予想される国の部隊が配置された。

同時に、半恒久的に治安維持をするため、アメリカ主導での新イラク軍の創設がなされ、アメリカ軍、NATO軍の武器供与、訓練による警察官、兵士の教育が行われ、順次、多国籍軍と入れ替わる形で部隊が配置されていったが、現在に至っても自爆攻撃やIED(簡易爆発装置)によるテロ攻撃は止むことはない。

そんな中、アメリカ陸軍は新たな軍事構想(フォース21)で編成した旅団戦闘団(機械化された緊急展開部隊)を編成、混乱するイラクをいわば、実験場、演習場として2003年11月よりストライカー旅団としてM1126CV歩兵輸送車、M11系列の装甲車(偵察型、迫撃砲型、指揮車型、火力支援型、対戦車ミサイル型、自走砲型等)、ガントラック(輸送トラックに重武装、重装甲をほどこしたもの)を投入している。

特に、ガントラックに関しては、アメリカ軍の補給物資は大半がクウェートからバグダッドまでトラック輸送に依存しているため、ベトナム戦争でも活躍したガントラックを復活させた(空輸では敵ゲリラに奪われるため)。

これはベトナム戦争やアフガン紛争で輸送コンボイがゲリラの格好の標的となったためである。

そのため、ガントラック(M923、M939、M1083、M915等)には12.7ミリ機銃や40ミリ擲弾発射器等といった威力の大きい火器が搭載されている。

③おわりに

アメリカは圧倒的な戦力を持ち、それに対抗する軍事力を持つ国などないのは周知のとおりである。

仮にアメリカ以外の国が束になってアメリカ本土侵攻を試みても、本土に上陸する前に全滅されられると言っていいほどである。

その一強であるアメリカが現在行っているのは軍備のさらなる近代化である。

これは、上記のストライカー旅団のような緊急展開形の部隊養成を重点的行っていることからもその方向性がわかる(もちろん、アメリカだけでなく全世界が即応型、機動型の部隊組織に兵種転換している)

そして、正規軍のみならず州兵をも交替で投入することで自国の実戦経験を持つ兵士を育て(質の向上)、いわばイラクは「演習場」と化し、無論、アフガニスタンについても同様であるといえる。

アメリカはその武器の質や量ばかりに目が行きがちだが、このように兵士の質の向上もイラクやアフガニスタンにおいて、実戦経験豊富な兵士を育成しているのである。

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