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フィンランド、サンタの国の空の死闘

2015年12月7日 ルーデル- ミリタリーの歴史

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フィンランドという国のイメージを聞かれたらどう答えますか?

ムーミン、サンタ・クロース、キシリトールという声は聞けますが、かつて人口370万人であったフィンランドが、人口1億7000万人のソ連を相手に2度の戦争したことは、一般にはあまり知られていないでしょう。

冬戦争、たった36機の戦闘機隊

1939年11月の末、ソ連の寛大な申し出を断ったフィンランドに対し、ソ連は歴史ある街、テリヨキに爆撃を加えます。

寛大な申し出とは、この20日間でバルト三国を屈服させたのと同じく、相互援助するためと称し、フィンランド国内のあちこちに基地を作らせろ。などという、実質的な独立放棄を迫る内容でした。

当時フィンランドが保有していたのは、フォッカー、D21戦闘機がわずかに36機、他にも戦闘機はありましたが、時代遅れで到底戦力たりえませんでした。

当時、もはや旧式となっていた単葉とはいえ、固定脚のこの戦闘機がソ連のツポレフSB爆撃機など、数百機に立ち向かったのです。

当初数日でフィンランドを屈服させることが出来ると本気で考えていたソ連軍は、護衛無しでこの爆撃機で空襲しましたが、損害が日に日に増大していきます。

極北のフィンランドでも、余り経験のない零下30度を下回る超低温がフィンランドの湖を全て凍らせました。

このことは、フィンランドに1000以上の滑走路が出現したも同じでした。

そうでなくても爆撃精度が低かったソ連爆撃隊でしたが、まさかフィンランド全土の湖を爆撃するわけにもいきません。

フィンランドの戦闘機隊は、銀河英雄伝説で言うところの、ヤン艦隊の方舟隊状態になってのです。

この事態にソ連は遂に戦闘機を投入しました。

複葉のポリカールポフ I-15や、世界最初の引き込み脚戦闘機、ポリカールポフ I-16がフィンランド上空に出現し始めたのです。

フィンランドパイロットの練度は高く、ソ連戦闘機にも優位を保ち、この間にもフランスからはモラーヌ、ソルニエMS406や、コードロン713、イタリアからフィアットG-50、イギリスからホーカーハリケーンⅠ型などが援助として送られてきましたが、やはり多勢に無勢でした。

一説にはフィンランド戦闘機の戦いはすさまじく、キルレシオは1対10、つまり1機落とされるまでに10機の敵機を撃墜したとのことです。

しかし、もともとソ連との航空兵力の差は10倍以上だったと言われており、このキルレシオでも戦略的には勝利し得なかったのです。

105日間の冬戦争の末、1940年3月13日、遂に力尽きて不利な休戦協定を結ばざるを得なかったフィンランドですが、あのような戦力差がありながら、貪欲なスターリンのソ連相手に独立が守られただけでも驚異に値します。

そして、フィンランドの空の戦いは間もなく第2ラウンドを迎えます。

継続戦争、味方は黄色い目印の飛行機のみ

フィンランド戦闘飛行隊に、再び戦闘待機態勢の命が下ったのは1941年6月16日のことでした。

ドイツのバルバロッサ作戦と共に、枢軸側につかざるを得なかったフィンランドに対し、6月22日に再びソ連は攻撃を開始したのです。

いわゆる継続戦争の始まりでした。

冬戦争休戦後、この日があることを想定していたフィンランド軍は、漫然と過ごしてはいませんでした。

フィンランド軍はモラーヌ、ソルニエMS406や、カーチス・ホークAなどを入手していましたが、やはり何と言っても主力となったのはアメリカからのブリュースター、B236バッファローでした。

MS406は、モーターカノンを装備し、性能は(フィンランドが入手できた中では)良かったのですが、フィンランドの凍てつく空を飛ぶには繊細すぎました。

ちょっとした被弾でシステムに狂いが生じ、勝手にモーターカノンが射撃されたり、脚やフラップが下りたりということが続いて、自慢のモーターカノンを外して戦わざるを得ない事態になりしました。

その点、バッファローは頑丈で整備が容易、というフィンランドの戦場にはうってつけの機体でした。

盟邦となったドイツからは、名機として名高いBf109Gグスタフを百数十機も手に入れました。

グスタフは、フィンランド空軍が手にした初の一線級の機体でした。

にもかかわらず、グスタフよりも時速100キロ以上も遅いこのバッファローをパイロット達はタイバーン・ヘルミ(フィンランド語で空の真珠)と呼んでこよなく愛したのです。

中には、タイバーン・ヘルミを愛する余り、メルス(メッサーシュミットのフィンランド語での呼び名)なんかには乗るものか、触るのもいやだというパイロットまで出る始末でした。

バッファローはアメリカで生まれ、イギリスに売却されて極東で使われた当初は負け犬でした。

空に地上に日本軍機に破壊され、生き残ったと思ったら日本に持ち帰られて戦意高揚映画のやられメカとなるなど、散々な人生をたどります。

それが、思いも寄らず北の空で救世主として活躍することになったのです。

このように、一度は落伍者となりながら蘇った例が他にもあります。

貴婦人のように繊細過ぎ、極寒の空では咳き込んでばかりいたMS406です。

先の冬戦争から、フィンランドは自国での武器生産は得意でない代りに、鹵獲した武器の改造や、壊れた武器の修理は神の域に達していました。

継続戦争では、ソ連の戦闘機もラボーチキンlagg-3やヤコブレフyak-1/7、ミグmig-3といった高性能機が投入されるようになります。

フィンランドはドイツから鹵獲したlagg-3のエンジンの航空エンジンの提供を受けましたが、タンベレにある国営工場は、これをMS406に載せてみたのです。

もともとこのエンジンはMS406のイスパノ・スイザ系の流れを汲むものだけあって、ぴたりと収まりました。

他にも、オイルクーラーにはメルスのものを、プロペラ軸の機銃にマウザーやソ連から鹵獲したベレシン12,7ミリを付けるなどの改造を行いました。

こうして生まれ変わった機体はラグ・モラーヌと呼ばれて活躍しました。

時には本家のlagg-3と対戦して五分以上に戦ったといいます。

さて、この戦争は、空で最も多くの国で生まれた戦闘機が入り乱れた戦いでもありました。

今まで書いた戦闘機に加え、ソ連に対して米英が行った軍事援助、いわゆるレンドリースの機体も加わったからです。

主なものはホーカー・ハリケーン、ベル・P39エアラコブラ、カーチスP40ウォーホーク、公式記録にはないノースアメリカンP-51Aマスタングまでが参加していたといいます。

見かけないのは日本の戦闘機くらいです。

敵機が不時着しようものなら、たちまち修理し、利用してしまうのがフィンランドで、その結果、同じハリケーンが敵味方に分かれることも珍しくありませんでした。

フィンランド空軍は、識別用に機体のあちこちに黄色を用い、胴体にも黄色い帯を描いていました。

黄色が使われているかどうか、それがフィンランドの空で敵味方を分ける唯一の方法だったのです。

継続戦争でもキルレシオ10対1(一説では20対1!)と言われる獅子奮迅の活躍をしたフィンランド空軍でしたが、衆寡敵せず、フィンランドはソ連と単独講話を結ぶ道を選びます。

しかし、再びフィンランドは独立を守ったのです。

そして、あのスターリンが小国フィンランドに無条件降伏を迫らなかったのです。

その理由として、無条件降伏を突きつけた場合にフィンランドの死にものぐるいの抵抗を恐れたからだとも言われています。

そして、6年間の戦争で死亡した軍人以外のフィンランド人は約2000人。

軍人と民間人の別なく犠牲者が出た第二次世界大戦において、交戦国としては非常に少ない犠牲者数だと言えるでしょう。

それは、空のエースたちがフィンランドの空を守り続けたからにほかならないのです。

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One Response to “フィンランド、サンタの国の空の死闘”

  • 及川正明 より:

    まさに真田幸村を思わせる戦いぶり、天晴れですね。忍耐強く、誇りを尊び、見習いたい国です。現在では確か世界一の教育国、そして医学領域では世界最高水準の血液学研究を維持している国と理解しています。旗の青い鉤マークが素晴らしい。


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