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こんなこともあり得る戦場

Tiger I

戦車が対戦車砲にやられたり、戦闘機が対空放火に撃破されるなら、これは普通に、想定されるであろう出来事です。

しかし、「まさかこんな・・・」ということが戦場では起きるのです。

鋼の錬金術師のグリードの口癖ではありませんが、「ありえないなんて事はありえない」のが戦場なのかもしれません。

バダビア沖海戦での吉と凶

まずは大日本帝国海軍が誇る酸素魚雷による「お手柄」です。

艦艇用の九三式酸素魚雷は最大で40km、潜水艦用の九五式でも最大12Kmもの長大な射程を持っています。

この長い射程が吉と出た例と、凶と出た例がありますが、どちらも相手にとってはまさか、というものでした。

1942年3月、蘭印作戦の一環として起きた「バダビア沖海戦」において日本海軍は米重巡「ヒューストン」豪軽巡「パース」蘭駆逐艦「エヴェルツェン」を撃沈、損害は駆逐艦3隻の小破という一方的なものでした・・・が、実は離れたところで事件は起きました。

陸軍輸送船 佐倉丸(9,246トン)に魚雷2本が命中し、沈没してしまいます。

さらに陸軍病院船 蓬莱丸(9,192トン)にも敵の魚雷1本が命中、陸軍輸送船の「龍野丸(7,296トン)が魚雷を回避中に座礁するという損害が出ました。

とどめには、世界初の強襲揚陸艦である「神州丸」にも魚雷が命中して、同艦は大破着底してしまいます。

この艦には、陸軍第16軍司令官今村均中将が座乗していて、後に救助されましたが中将は3時間海上を漂いました。

実はこれらの魚雷は海戦に参加していた重巡「最上」が放ったものが敵艦に命中せずに迷走を続け、あろうことか味方に大損害を与えたものと判明しました。

伊19潜の雷撃

次は1942年9月の出来事です。

第2次ソロモン海戦の後にソロモン諸島東方沖に展開していた空母「ホーネット」を中心とする第17機動部隊で突如水柱が上がりました。

戦艦「ノースカロライナ」、駆逐艦「オブライエン」に魚雷が命中したのです。

この雷撃により「ノースカロライナ」は半年戦列を離れることを余儀なくされ、「オブライエン」は後に沈没しました。

By: Cliff

アメリカは、近海にいた「伊15潜」の雷撃と推測しましたが、戦後20年になって驚愕の事実が判明しました。

これより少し前、空母「ワスプ」に3本の魚雷が命中し、ワスプは沈没しています。

これは「伊19潜」の雷撃でしたが、実は残る3本の魚雷が10kmも海中を進み、先の被害を生み出したのです。

伊19潜は、自らも知らないまま、一度の雷撃での戦果の世界記録を打ち立てたのです。

以上は兵器の性能が良すぎた故の「まさか」ですが、次はまさかこの兵器に倒されるとは、というものです。

高射砲で沈んだ駆逐艦

1941年の北アフリカ戦線、イギリスの手にあったトブルクは遂にドイツ軍の手に落ちてしまいますが、イギリスは駆逐艦「シーク」と「ズル」、その他上陸用舟艇に特殊訓練を受けた350人を乗り込ませ、トブルク港へ夜陰に乗じて殴りこみをかけ、港湾機能を破壊しようという大胆な作戦、「アグリーメント作戦」を実行します。

ところが、戦意に乏しいと勝手に推測していたイタリア軍が、この時は予想に反して大張り切りで反撃してきて手間取るうち、「シーク」がサーチライトに照らされてしまいます。

そこですぐさま火を吹いたのが、港に配置されていた名高い8.8センチ高射砲でした。

この砲は6月のイギリスの「バトルアックス作戦」において英国戦車「マチルダⅡ」の装甲を安々と撃ちぬいています。

駆逐艦には装甲などないのですから、たまりません。

「シーク」は機関室を撃ち抜かれて炎上、「ズル」も艦尾に1発食らい、傷ついて撤退する途中に泣きっ面にハチの航空攻撃を受けて、最後には沈んでしまいます。

念のためですが、撃ったのは高射砲で、沈んだのは駆逐艦です。

戦闘機を撃ち落としたティーガーⅠの主砲

伝説の戦車エース、ミヒャエル・ビットマンを上回る撃破数を持つとされるオットー・カリウスですが、彼のスコアには「1機」という数字も書き加えることができます。

1943年12月、レニングラード攻囲戦と関連したラドガ湖付近の戦いの中で、彼はロヴェツにいました。

敵戦闘機が機銃掃射を加えてきたのに対し、カリウスは敵機の襲撃コースにティーガーⅠを動かして、主砲に最大俯角(と言っても10度ですが)をかけて発射しました。

すると何とこの砲弾が敵機の翼をもぎ取り、撃墜に成功したのです。

ティーガーⅠの主砲が戦闘機を撃墜するのは空前絶後のできごとでしょう。

話は変わりますが、1973年のアメリカのテレビ映画「戦闘機対戦車」では、アメリカのP-40対ドイツの黒十字を貼ったシャーマン戦車の戦いが描かれました。

シャーマンやT-34を映画でドイツ軍側の戦車役で登場させるのであれば、普通に考えればドイツ戦車らしく見せようとするものですが、もしかして鹵獲したシャーマンという設定なのか?と思わせるほど、シャーマンらしさを隠そうとした痕跡がありません。

しかし、この映画で戦車が使っているのはオットー・カリウスの使った主砲ではなく、あくまで機銃です。

事実は映画よりも奇なり」というわけです。

特設巡洋艦 報国丸

次はお前なんかにやられるとは、というカテゴリー(?)です。

太平洋戦争中の日本、商船 報国丸、愛国丸は15センチ砲8門、魚雷発射管など重武装を施されて「特設巡洋艦」として生まれ変わり、太平洋からインド洋、果ては喜望峰付近まで広く、通商破壊作戦を行うことになりました。

しかも、その手口は軍人が甲板上で女装して、相手商船を油断させては威嚇射撃して停船を命じ、乗員を退船させてから撃沈したり拿捕する、という武士道精神あふれる(?)ものでした。

このために髭面の海の男が女装して腰をくねらせる、ハンカチを振る、投げキッスをするなどの猛特訓も行われるという、大日本帝国海軍開闢以来の光景が出現しました。

このような噴飯物の作戦ですが、1年間で8隻もの戦果を上げました。

しかし、1942年11日、オランダのタンカー、ロンドン・オンディナを停船させたのが、報国丸の運命の時でした。

一人の船員がタンカーのたった1門の備砲に素早く駆け寄って撃ったのです。

まさかタンカーが撃ち返してくるとは、と呆然とする間もなく、砲弾が魚雷甲板に命中して次々と誘爆を起こし、一転して報国丸の甲板は阿鼻叫喚に包まれます。

元来が商船なので浸水は早く、手の施しようがなくなり、この「まぼろしの艦隊」は終焉を迎えました。

時代遅れのデファイアントの活躍

ダンケルクという地名はフランスでは、敗北と同義です。

第二次世界大戦、ドーバー海峡を撤退するための「ダイナモ作戦」では船と名のつくものと言えば何でも使われました。

ドイツの軍人ヘルマン・ゲーリングは、これを空軍力で阻止してみせると大見得を切ってみましたが、イギリス空軍は彼の顔に泥を塗ることに成功しました。

その一端を担ったのが複座戦闘機ボールトンポール社の「デファイアント」です。

前方に機銃がなく、後方銃手が4連装の砲塔を操作する、という変わり種で、ドイツ機はまさかそんな変な戦闘機があるとは思わなかったのでしょう。

後ろに回り込んでしてやったりと思った瞬間、信じられない事態に出くわします。

ボールトンポール社が(これだけは)誇る7.7ミリ機銃4連装動力砲塔が火を吹いたのです。

これで落とされたドイツ機は65機。

ただし、これはほとんどがシュトゥーカやBf110といった、俊敏さに欠ける機種ばかりでした。

デファイアントの正体がわかってしまったあとのバトル・オブ・ブリテンのBf109相手では、一方的な虐殺にも等しい戦いになりました。

撃墜王として名高いドイツの軍人、アドルフ・ガーラントは、デファイアントの1機を撃墜しながらも、こんな時代遅れの飛行機を誰が戦場に送り込んだのか、と思わずにはいられなかったと言います。

その飛行機に撃墜されたダンケルクのドイツ機って一体・・・

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