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駆逐艦 響

不死鳥と呼ばれた艦船 響

音の「響き」から名前が付けられた日本海軍の駆逐艦

吹雪型(特型)の22番艦で暁型(特III型)の2番艦

建造されて間もなく、「雷」「電」と一緒に第六駆逐隊を編成。三隻合わせて「ライデンキョウ」と言われた。

この名前の日本海軍の艦船は神風型駆逐艦 (初代)「響」に続いて2隻目

「不沈艦」、「不死鳥」、「戦争を生きのびる運命の艦」などと呼ばれていた

簡単にまとめるとこんな感じです。

因みに駆逐艦というのは、当時脅威とされていた水雷艇(小型、高速、魚雷搭載。すばしっこく動き回って大型艦に魚雷攻撃を仕掛けたりする厄介者)を駆逐する為に生まれた艦船の事でした。

水雷艇よりは少し大きく、他の船よりは小型、足が速く連射ができる艦船でした。

さて、軽く駆逐艦「響」について説明をしたのですが、ここまで読んで「軍艦といえばどでかい船にどでかい大砲でしょ!」って思ったり「なんでこんな小さくて地味そうな船好きなの?」って思っている人も少なくないのではないでしょうか。
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私も響が好きになる前は「軍艦=でっかい船」のイメージが強かったですし、大型の戦艦にドキドキワクワクしたりもしていました。

では何故、私が響に魅かれたのでしょうか。その理由をこれから説明していきたいと思います。

驚異の悪運、沈まない船

最初のプロフィールの呼び名に注目してください。「不沈艦」、「不死鳥」、「戦争を生きのびる運命の艦」・・・・

なかなか大層な呼び名が付いてるなって感じませんか? どうしてこんな大層な呼ばれ方をしているんだろうって気になりませんか? お任せ下さい、ご説明します! 実は、この呼び名の由来こそが私が響に魅かれた理由です。

このように呼ばれるようになったのは響の驚くほどの悪運ぶりとしぶとさがあったからです。

響は太平洋戦争の中で何度も何度も甚大な損傷を負いました。それにも関わらず響が沈むことはなかったのです。終戦まで生き残り、終戦後も名前を変えながらずっと生き続けました。

響の悪運エピソード「キスカ島占領作戦」

響の悪運の話でたぶん一番有名なエピソードが、この「キスカ島占領作戦」という作戦の話なのではないでしょうか。

響は駆逐艦の暁と一緒にキスカ島近海を航行中に爆撃を受けてしまいます。投下された爆弾のうちの1発が右舷艦首外板を貫通し爆発。爆撃のせいで前部主砲周辺まで浸水し沈没の危険がありました。

こんな大怪我にも関わらず響はなんと沈没を免れます。3時間あまりの応急修理に成功して沈没を免れたのです。しかし応急修理が成功したとはいえ艦船はボロボロ。

前進はできないため、響はゆっくり後進しながら戦闘海域を離脱しました。砲撃は衝撃による浸水の危険があったので不可能だったため、離脱の時には暁が護衛の為に米軍機と奮戦していました。

因みに横須賀に到着するまでにも艦首が波浪にたたかれて九十度に折れ曲がったり垂れ下がってしまったり仮艦首を取り付けたりで大変だったみたいです。こんなボロボロになっても生きて帰ってくるなんて・・・

仲間だと凄くたくましく感じるけど、しぶとすぎて敵に回すのは嫌ですね(笑)

他にも響には数々の悪運エピソードが存在します。別の艦と持ち場を変わった瞬間にその持ち場を変わった艦船が爆撃された、修理で戦いに参加出来なかったために助かった・・・等、色々調べて見るのも楽しいかと思います。

戦後の響

戦後はソ連(現ロシア)に賠償艦として贈られ、「響」ではなく「ヴェールヌイ」という新しい名前が与えられました。意味は、「真実の、信頼できる」。ロシア語の形容詞です。

何故こういった 意味の名前が付けられたのかは残念ながら分からないのですが、個人的には響の不死鳥っぷりからじゃないかなあっと思ったりしています。

数年後には「ヴェールヌイ」から「ディカブリスト(ロシア革命参加者の名前)」という名前に改められ練習艦になりました。

役目を終えた後は標的艦として雷撃処分されました。

実は生きている響

「ヴェールヌイ」という艦名は第5艦隊に所属した30-bis型駆逐艦に実は受け継がれています。

また、由来は違いますが、「ひびき」という名前の艦艇が存在しています。好きな艦船の名前がずっと残っているっていうのは本当に嬉しいです。今も艦船が生きているんだと思うとワクワクします。

ひびき

北九州の「響灘」からその名がつけられた水上自衛隊の音響測定艦
音響測定艦は、非常に優秀な曳航式の水中聴音機により平時のうちから日本近海を航行して活動中の潜水艦を見つけてはその音を収集する艦のことです。
そうして得られた音のデータは、いざ潜水艦が来訪した時にいち早く対応をするための大切な資料になるのです。

こんなところにもひびき!

私も最近知ってびっくりしてるのですが、海上自衛隊のレシピは公式のホームページで紹介されており、カレーの欄を見てみると……なんと、「ひびきカレー」と書かれたレシピが!!提供部隊は勿論、音響測定艦ひびきです。

レシピを見つけた晩に早速作って食べてみました。美味しかったです。正直、自衛隊の料理のイメージってあんまり美味しそうなイメージなかったんですけど全然そんなことありませんでした。すごく美味しかったです。皆さんも是非、探して作ってみてはいかがでしょうか?

因みに海上自衛隊のレシピは「ひびきカレー」以外にもいっぱいあったのでそちらをじっくり見るのも凄く楽しいかと思います。

自衛隊とかに全く興味ないなって人達も、料理などの身近なきっかけによって艦船を好きになってくれれば、艦船好きの私はとても嬉しいです。

歴代の艦長

響の歴代の艦長をご紹介。気になったり聞いたことがあるの名前があれば調べてみるのも楽しいかもしれません。

江口松郎中佐  1933年1月30日
江戸兵太郎中佐 1934年8月1日 – 1935年11月21日
阪匡身中佐   1935年11月21日 – 1936年12月1日
井上良雄少佐  1936年12月1日 –
柴勝男少佐   1937年7月13日 –
溝畠定一少佐  1937年11月1日 –
岡本次郎少佐  1938年12月1日 –
岡三知夫少佐  1939年10月15日 –
林利作少佐   1940年10月15日 –
石井励少佐   1941年9月25日 –
工藤俊作少佐  1942年8月13日 –
森卓次少佐   1942年12月10日 –
福島栄吉中佐  1943年11月25日 –
薗田肇少佐   1945年7月18日 –

因みに悪運エピソードでご紹介した「キスカ島占領作戦」の後に艦長になったのは工藤俊作少佐。

私だったらあんな大変なことがあった後の艦長はちょっとお断りしたくなっちゃいます。(笑)

・響の大きさや性能
全長118m
全幅10.36m
速力 38.0ノット
乗員219名
航続距離14ktで5000浬
吃水 3.2m

大きさの基準が分からない方もいらっしゃるかも、私も正直よく分かってません。

因みに大日本帝国海軍が建造した史上最大の戦艦の大和で全長が263.0mです。大きさが少しでも伝われば幸いです。駆逐艦は小さいです。

文:yunonono

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