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狙撃銃の歴史と進化

狙撃銃はその名称の通り、狙撃に用いることを目的とした小銃ですが、時には小銃以外の銃器が狙撃に用いられることもあるため、その定義は非常に曖昧なものになっています。

しかし、多くの場合では高倍率の光学照準器を装備し、高い精度を有し、射程が比較的長いという共通点があります。

狙撃銃の設計は、専用に設計されるか、既存の銃器の中から高い精度を持っているものを流用し、改造して用いるパターンが多く取られます。

そのため、狙撃銃だからといって必ず単発式であるとは限らず、ある程度の精度を確保しつつ、セミオート射撃を可能にしたものや、据え置きで使うフルオート射撃のみの重機関銃を利用しての狙撃を用いるなど、必ずしもセミオート式であったり、小銃に限られたりするものではありません。

狙撃銃の歴史は、そのまま狙撃の歴史でもあるといえます。

戦闘で、狙撃という行為が行われるようになったのは17世紀とも言われています。

銃という兵器自体はそれ以前にも存在しており、マスケット銃の原点にあたる先込め式の銃などは13~14世紀には既にある程度開発されていたともされています。

この当時の銃は、サイズが2m近く、これらを扱える兵士はエリート扱いをされていました。

またこの時期とほぼ同時期に、万能人として知られているレオナルド・ダ・ヴィンチが、比較的精度の高い銃を選定し、そこに遠くまで見えるようにと小さな望遠鏡を装備させたという逸話があります。

この銃が最も古い狙撃銃とすることもあります。

狙撃銃が戦力として知られるようになったのは第一次世界大戦で、この戦争では精度の高い小銃と腕の良い射手が戦術的に大きな戦果を上げたことにより、狙撃銃の有用性が認知されるようになります。

その後、第二次世界大戦の頃には小銃ではなく、専用の狙撃銃として配備されるようになり、狙撃手と共に専門家されていくことになります。

有名なフィンランドの狙撃手シモ・ヘイヘ氏が非常に大きな戦果を上げたのも、これとほぼ同時期になり、このシモ・ヘイヘ氏は、狙撃手としては史上最多の確認戦果505名という記録を持っている人物です。

その技術により、敵であったソビエト赤軍からは「白い死神」と呼ばれ恐れらていたほどで、彼の逸話はかなり数が多く、スコープを使用せず、アイアンサイトのみで狙撃していたなどの逸話があります(スコープのレンズに光が反射してしまい場所がバレてしまうを嫌ったことと、猟師時代からの慣れ、装備の軽量化などの目的があったとされています)

狙撃銃が、小銃からの流用ではなく狙撃専用に設計されるようになってからは、精度の高さからボルトアクション方式が多く採用されることが増えました。

ボルトアクション方式は薬室への装填、閉鎖、射撃後の薬莢の排出などを一発ずつ手動で行う方式のことで、構造が簡単であるため信頼性が高く、精度も高くしやすいといった狙撃銃に重要な利点があり、デメリットとしては、装弾数自体の少なさや、連射速度の遅さなどがあります。

精度と信頼性を最優先する警察や、競技用で用いる場合などで、ボルトアクション方式は、よく利用されていましたが、後述する「ある事件」をきっかけに考えを改め、軍用や、一部警察用などでオートマチック方式が使用されるようになっています。

狙撃銃にオートマチックが採用されることになったのは、1972年9月に起きた「ミュンヘンオリンピック事件」が大きな契機となっています。

この事件ではイスラエルのアスリート11名が射殺されてしまうという結果になりましたが、こういった結果になってしまった要因の一つに狙撃銃の配備されておらず、一般的なアサルトライフルによる狙撃を計画し、それを行う狙撃手も、射撃の成績が良いという理由で選ばれた「狙撃に関する専門的な訓練を受けていない」警察官が採用されたこと、犯人グループの人数を5人と間違えた情報から作戦を計画、狙撃手も前述した素人5人のみという状況であった、などの要因が挙げられます。

この事件を経験したことにより、軍隊だけでなく警察でも狙撃に精通した人員の育成と、情報よりも犯人グループが多かった場合などにもすぐに対応出来る、オートマチック式の狙撃銃の開発が重要とされました。

結果として、西ドイツ政府は銃器メーカー各社に対して、セミオート式の狙撃銃の開発を依頼、開発されたのが、H&K社が開発したセミオートマチック式の狙撃銃PSG-1と、ワルサー社が開発したWA2000です。

このトライアルはPSG-1が勝利、採用となりましたがPSG-1は一挺当たり7000ドルと非常に高価(値段だけでいえばトライアルに敗北したWA2000もほぼ同額です)であったため、ドイツ連邦軍では採用を見送り、PSG-1の軍用の軽量廉価版であるMSG-90を制式採用しました。

ワルサー社のWA2000はその後も制式採用する国、組織が現れることはなく生産を中止しました。

また、ミュンヘンオリンピック事件では、狙撃銃の大口径化への契機にも繋がっていると言われています。

先進国ではより凶悪なテロ事件の発生を危惧したこともあり、.50口径を超える狙撃銃の開発を開始し、1982年に発生したフォークランド紛争で、アルゼンチン軍がFN社製の重機関銃であるブローニングM2重機関銃を狙撃銃として使用したところ、戦果を上げたことも後押しする形となり、対物ライフルの開発・採用が行われることになります。

フォークランド紛争では結果として、同クラスの銃器を軒並み退役させていたイギリス軍は対応することが出来ず、高価な対戦車ミサイルを敵陣地に一つずつ撃ち込んで無力する羽目になりました。

対物ライフルはかつては「対戦車ライフル」と呼ばれた大型の銃であり、アンチマテリアルライフルとも呼ばれます。

対物ライフルの多くは重機関銃に使用される大口径弾を使用し、超長射程からの狙撃を目的としています。

大口径弾を使用する上でのメリットは弾頭が重いことにより弾道が安定することや、射程が1,500~2,300mと非常に長いことなどが挙げられます。

軍用では、航空機のエンジンなどを破壊し行動不能にする用途、警察の対テロ特殊部隊では、ハイジャック犯等の通常の銃器では対処が難しい場合などに航空機のキャノピーごと貫いて無力化することが出来るため需要が高まった兵器です(その威力は一説によれば、ブロック塀などを「障子紙と同じ感覚で貫く」ともされています)。

対物ライフルの特徴は「非常に重い」「サイズが巨大」である点があります。

元々が機関砲弾や重機関銃弾といった大口径で反動の大きな弾薬を使用するために、射手に対する負担を減らすためにも重量を増やし、反動を出来る限り抑える工夫がされているためです。

参考までに航空機関砲弾である20mm×82弾を使用する、南アフリカ共和国の銃器メーカー「アエロテクCSIR社」が開発した軍用ボルトアクション式アンチマテリアルライフルのダネル NTW-20は重量が26,000g(=26kg)、全長が1795mmという代物になっています。

更に本銃では、機関砲弾から発せられる反動を抑えるために、ストック内部にスプリングと2本の油圧式サスペンションから構成されたショックアブソーバーを搭載し、更にバリエーションモデルであるダネルNTW-14.5になると全長が更に伸びて2,015mmにもなります。

また、現在では更に装備が進化し、専用の弾道計算ソフトが内蔵された小型のモニターなどを装備可能になっているものも存在し、警察など治安維持を目的とした部隊での使用も増えており、より早く、確実に犯人の無力化が出来る点などから、治安維持においても一定の効果を期待できるからと言われています。

実際に優秀な狙撃手の中には犯人の持っている武器への射撃を行い武器を無力化し、人質への危害を未然に防いだり、自殺しようとする犯人の持っている武器を射撃し、自殺を防いだというパターンもあります。

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