「ダマスカスブレード」
特別な材質で出来た武器は、古代からいろいろ登場していますが、神からもらったとかのファンタジーな材料を除いて、現代でも再現が困難な素材で作られた刀剣として、この名前を外すことは出来ないでしょう。
ヨーロッパのキリスト教勢力が、イスラム世界に対して繰り返し侵攻を行った「十字軍」では、イスラム世界からヨーロッパへと数多くの優れた文化や技術、物品が持ち帰られました。
ダマスカスブレードなどの刀剣類はその一つで、素晴らしい切れ味と非常に高い耐久力、特に類まれなしなやかさを有していると評判になり、ダマスカスブレードを所有することが大きなステータスとなっていきます。
その素晴らしさの描写では「鉄の鎧を切っても刃毀れせず、柳の枝のようにしなやかで曲げても折れず、手を離せば軽い音とともにまっすぐに戻る」とまで言われていたそうです。
また美しさという点でもダマスカスブレードは飛び抜けたものがあり、その刀身の表面には独特の縞模様が浮かび上がり、見るものを惹きつけました。
武具としても破格の性能を誇り、工芸品としても遜色ない妙なる美しさを持つ。
ヨーロッパの貴族がこぞって求めたのもうなずける話です。
現在、ダマスカス刀剣と言った場合、その製法から2つの方向にわかれます。
一つは、鋼を折り返し鍛造したり、モザイクのように組み合わせて鍛接・鍛造することで、刀剣の表面に鍛接面が積層構造として見える「積層ダマスカス」「鍛接ダマスカス」という技法です。
現在の制作品で「ダマスカスブレード」といった場合には、ほぼこちらの製法で作られたものを指します。
十二単衣のように重ねられた鋼の層が、独特の美しさを生み出していて、愛好家も多い技法で、カスタムナイフなどで良く用いられます。
実用上のメリットとしては、ブレード部分がしなやかに折れにくくなる、衝撃を多少吸収してくれるようになると言われています。
特に、性質の異なる鋼を丁寧に積層鍛接したダマスカスブレードは、非常によく切れながら粘り、多少ラフに扱っても欠けたり折れたりが発生しません。
ちなみに、日本刀などの「刃紋」はこれとは別で、焼入れ処理に焼土で複雑な差をつけることで鋼の構造を変化させて、模様を生み出しています。
そして、もう一つのダマスカスが本来のダマスカス。
「ウーツ鋼」と呼ばれる独自の鉄鋼を用いて制作された武具全般(ウーツ鋼の台所用品も有ったかもしれませんが…)を指します。
ウーツ鋼とは、古代から近世までインドで生産されていた鉄鋼の名称で、インド一部地域の鉄鉱石を原料として、独自の技法で生成されていました。
もっとも古いものでは紀元前1500年前と推定されるものも出土しているそうで、デリーのクトゥブミナールに突き立つオーパーツ「1600年間錆びない鉄柱」も、このウーツ鋼でできていると見られています。
少なくとも1600年間雨ざらしでも、腐食して倒れる気配のないこの鉄柱の存在からは、ウーツ鋼が腐食にも非常に強いということが伺えます。
このウーツ鋼はシリアに運ばれ、武具を始めとした各種鉄鋼製品へと加工されていたわけですが、その製造を主に行っていたのが「ダマスカス市」。
ダマスカスで作られた刀剣なので「ダマスカスブレード」「ダマスカス刀」と呼ばれるに至ったわけです。
製法に関して大雑把なレベルでは、特産の鉄鉱石をシャフト炉という形式の精錬炉で粗鉄にし、それを伸ばして切断したものを坩堝にいれ、木屑、生の木の葉などを入れて行き、粘土で塞いだものを20個ほど作り、木炭を載せて加熱し、冷えたら坩堝を割ってウーツ鋼のインゴットを得るというような記述が残っています。
しかし、実物に関しては19世紀の時点で生産が停止した上に伝承が失われてしまっており、幻の鋼という状態でした。
これを現代技術で再現しようと挑んだ最初の人が有名な電気・物理学者ファラデーでした。
おそらく鋼鉄に何らかの添加物が作用しているのだろうと推測したファラデーは、様々な金属や非金属を試して多種多様な合金を作り出していきます。
白金ステンレスなども生み出しながら、しかし、ファラデーはついにウーツ鋼の工業的再現には至りませんでした。
次いでこの研究に挑んだのが、ロシアのアノーソフという冶金学者。
彼も当初は合金素材に秘密があると考えていましたが、途中で「構造こそが重要なんじゃないか」という知見に辿り着き、金属断面を腐食させて顕微鏡で観察するという手法を開発、ついにウーツ鋼の秘密を解き明かします。
彼の研究により、ウーツ鋼とは、坩堝の中で冷え固まるときに、炭素量の多寡で結晶速度と、結晶の形状に差ができ、しなやかな鋼の樹状結晶の間を硬く、脆い鋼の結晶が埋めるような構造になったものである、ということが判明したのでした。
しなやかな鋼と硬い鋼がそれぞれ結晶しながら連結した構造、先に述べた積層鍛接を結晶レベルで行っているわけですね。
ちなみに、その構造がはっきりと層状に出来上がるのには、ウーツ鋼こ材料として用いられていた特産の鉄鉱石に含まれる微量のバナジウムが働いていることがわかっています。
その構造を壊さないように、気をつけながら鍛造して出来上がるのが、高い硬度を有しながら非常にしなやかであり、折れず、欠けず、鎧を紙のように切り裂く「ダマスカスソード」だったのです。
ただし、この研究で明かされたのはウーツ鋼の一面に過ぎませんでした。
先程も述べたように、1600年間朽ちないデリーの鉄柱にも用いられているとされるウーツ鋼は、普通の鋼とは比べ物にならない防錆・耐腐食性を有しています。
日本刀の玉鋼などもそうですが、通常、高炭素鋼というのはかなり錆びやすく、手入れが悪いとすぐに腐食が始まってしまいます。
武具として扱う場合、この鋼のサビ易さは悩みの種だったのですが、ウーツ鋼の場合はそれさえも克服していたのですから、まさにパーフェクト武器素材と言っても過言ではありませんでした。
さて、このウーツ鋼の耐腐食性についてですが、実は原理が未だに「謎」であったりします。
耐腐食性の非常に高い鉄鋼という点では、鉄・クロム合金の研究が進んだことで「ステンレス鋼」という材料が出現し、一応実用的にはウーツ鋼に匹敵する素材を手に入れることが出来ました。
現在、多くのナイフなどに高硬度ステンレスが用いられ、中世の頃の刀剣とは比べ物にならない切れ味と耐久力、耐腐食性を獲得しています。
しかし、ウーツ鋼に関してはクロムが添加された形跡が無いため、現在の工業用ステンレスとはどうも別の原理で耐腐食性を獲得しているようだというところまでしかわかっていないのです。
一応、微量のバナジウムが混ざっていたことはわかっているのですが、現在の研究では鉄バナジウム合金は耐熱性や耐摩耗性、機械的強度が上昇するものの、耐腐食性に大きな変化は無いはずなのです。
しかも、最新の研究ではウーツ鋼の中から「カーボンナノチューブ」「ナノワイヤー」構造まで発見されたとのことですので、どうもこれまでの冶金学では全くカバーできていないような原理が働いている可能性が浮上してきています。
200年前に失伝した、飛び抜けて高性能な刀剣類を作り出す素材生成技術、という時点でロマン山盛りなのですが、さらに現代最先端技術でもやっと手がついたレベルの加工まで(無意識的にしろ)行われていたとなると、確かにオーパーツ扱いされるのも分かる話です。