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兵器は見かけによらぬもの

兵士の命がかかっているという性質上、兵器は実用的であるかどうかが評価の全てです。

中には、B-29のように性能を追求した結果として生み出される「機能美」が備わる場合があります。

しかし、天は二物を与えずで、見た目は美しいのに性能が冴えなかったり、逆に外見が期待できなさそうなのに意外な性能を発揮したりと、そういう例を集めてみました。

命令でもないと乗りたくない・・・まずは、乗ったら命が危なそう、というものから。

B&V社 BV141

1937年にドイツ空軍の良好な視界を持つ単発三座偵察機という要求に、フォッケウルフとブローム・ウント・フォス(B&V)の2社が名乗りをあげました。

ところが、B&V社が作ったBV141は、大概の人の度肝を抜く形状でした。

主翼の片側に、繭のようなものがゴロンとついていたのです。

武装でも積んでいるポッドか、と目を凝らすと、何とそれがコックピットなのです。

つまり、コックピットが翼の片側についた、世にも珍しい左右非対称航空機だったのです。

テストパイロットの名は残っていませんが、こんなものが飛ぶのか、と命の危険を感じたかもしれません。

ところが、予想に反してちゃんと飛んだのです、しかも、視界を遮るものがない後方乗組員の視界は最高でした。

しかし、エンジンや油圧系統の不調を理由に、この前代未聞の飛行機はボツにされました。

この飛行機に勝ったFW-189は双発機で、最初から軍の要求に応えてなかったのですから、BV141は、やはりその姿がアバンギャルドにもほどがあったのでしょうね。

ポリカルポフ I-16

BV141のデザインはリヒャルト・フォークト博士の信念が生み出したものですが、ソ連には「高速性能を追求するのならば、機体は短い方が有利だ」という信念を持った設計者がいました。

ポリカルポフ設計局主任、ニコライ・ポリカールノフでした。

彼が1933年に設計したポリカルポフ I-16はその寸詰まりな機体が印象的です。

デリンジャー拳銃みたいなその姿は、MIG1とかの機首をぶった切ってカウリングをつけたのでは、と疑いたくなりますが、世界初の実用引き込み脚の戦闘機なのです。

ただ、フィンランドや対独戦で「やられメカ」的存在なのでその愛嬌ある外見とともに、ガンダムのズゴックと重なって見えるかもしれません。

それでも当時としては堅実な性能であり、この時期にトンデモ飛行機を多数生み出した大英帝国は見習うべき点があるかもしれません。

鋼鉄のアンモナイト、最後の歩兵戦車の活躍

ソ連の怪物、KVⅡが子供が「せんしゃかいたー」というようなデザインで悪目立ちしているために注目を浴びませんが、チャーチル歩兵戦車のアンモナイトぶりもなかなかのものです。

1942年の時点で塹壕を超える能力重視の長い車体、歩兵とともに歩む機動力無視の速度など、ドイツの4号戦車F2型やソ連のT34新砲塔と同じ時代のものとは思えません。

初陣が大失敗のディエップ上陸作戦で、チャーチルも参加した30両が全滅という華々しい戦果(?)でした。

しかしこの時は水没、擱座によって失われたものがほとんどで、敵砲撃による損失は2両のみであり、厚い装甲の有効性が証明されたのでもありました。

そして、その重装甲と不整地装甲能力、ついでにあんなに長いのに超信地旋回能力まであるので、機動戦を必要としない拠点攻撃には威力を発揮し始め、特殊な改装を施され、まさに歩兵の友として活躍し始めたのです。

280ミリ迫撃砲でトーチカも吹き飛ばすチャーチルAVRE、最大射程100mもの火炎放射戦車、チャーチルクロコダイルや地雷除去用のものなど、「遅い、硬い、強い」の三拍子(ん?)そろった兵器となったのです。

シルエットからいけばKVⅡに似ているのは、ドイツの1号自走重歩兵砲でしょうか?(KVⅡは、いちいち不格好の引き合いに出される運命にあるようです。)

Ⅰ号戦車の車台に15cm重歩兵砲をあらよっとばかりに載せ、周囲を臨時屋外トイレのような装甲板で覆った姿は急造ムードがぷんぷんと香り、例の「オデッサ戦車」が親近感を覚えて寄ってくるでしょう。

ところが、威力はあっても重いため、それまでは運搬や設置に苦労していた15cm重歩兵砲の運用が容易になったので、使ってみると大変重宝な兵器となったのです。(余談ながら、セガ・サターンのADVANCED WORLD WAR 〜千年帝国の興亡〜はこの兵器が最も活躍できるゲームとなっています。)

ドイツはこれで自走歩兵砲の有効性に目覚め、開発に力を入れることになりました。

私は美しい、そして・・・弱い

さて、これまでとは逆に、スタイルがいいので期待させておいて、いざ使ってみるとがっかり、という例ですが、プラモデル愛好家には愛でられそうです。

実際には活躍できなかったものが多いので、ことさらに創作意欲を掻き立てる対象となるかもしれません。

なんと美しい戦車だ!と試作車を見たヒトラーが思わず叫んだといわれる「タイガーⅡ」ですが、もしかしてこの時見たのは、ポルシェ砲塔だったかもしれません。

タイガーⅡの映像の多くがヘンシェル砲塔ですが、ポルシェ砲塔は流線型の美しいデザインです。

しかし、砲塔前面の曲面下部に被弾すると反跳して弱い部分を貫通する、いわゆるショット・トラップの恐れがあるとされました。

そして無骨ですが被弾に強いザウコップ防楯を備えたヘンシェル砲塔が採用となり、ポルシェ砲塔は初期生産の50両にのみ使われたのです。

日本陸軍はずんぐりした二式戦「鍾馗」の次は対照的にスラリとしたフォルムの三式戦「飛燕」を送り出します。

液冷エンジン採用により可能となった、機首がすぼまった流麗な姿はいかにも強そうです。

事実、テストでは優秀な性能を見せて制式採用が決定されます。

しかし、テストでは優秀というのは日本機の枕詞のようになってしまうのです。

つまり、量産のためには均等な資材、技術が欠かせませんが、一種の職人芸である日本の戦闘機は、いざ量産になると質が下がってしまった例が少なくありません。(「量産機のほうが劣るなんて!」とアスカが怒りそうです。)

シルエットが似ているため、アメリカはこの飛行機を勝手にイタリアの優秀機マッキMC.202「フォルゴローレ」のコピー機と判断したようですが、アメリカパイロットの証言では落としやすい戦闘機と思われたようです。

MC.200、MC.202、MC.205と優秀な戦闘機を生み出したイタリアですが、(というより設計者のマリオ・カストルディ技師が優秀だったという説も。)

飛行機も外見のスタイリッシュさに気を配っているのではないか、とさえ思います。(爆撃機は除く)

双発の高速攻撃機として開発されたブレダBa88は1937年12月の記録飛行で、最高で550km/hを叩き出しました。

同じ時代の単発戦闘機であるハリケーン1よりも早かったのですから驚きです。

そして1940年6月イタリアはイギリスとフランスに宣戦布告、いよいよこの飛行機は初陣を迎えましたが、大した抵抗に遭わぬうちにフランスは降伏。

そこでBa88は北アフリカに投入されますが、そこで待っていたのは薄い空気と砂埃でした。

防塵フィルターも付ける必要があったため、上昇性能が大きく低下したのです。

その結果、ある日燃料と弾薬を満載して出撃しようとしたら、何と離陸できない機が出るやら、離陸した機も全然上昇できないという体たらくとなり、遂にこの機はお払い箱となってしまったのです。

戦勝国側でも、(あ、一応イタリアも戦勝国側でしたっけ。)イギリスはスーパーマリン「スイフト」、ソ連は「MIG-1」、アメリカでもXB70「ヴァルキリー」と「色男金と力はなかりけり」を地で行くような、カッコいいけど残念な兵器が散見されます。

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