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生死のはざまの戦場のユーモア – ヨーロッパ大陸編

その昔、戦場での生死を分ける一瞬の中にあっても、ユーモアを忘れずにいた人たちがいました。

その人たちの言葉の数々を、有名な戦場ごとに紹介してみます。

1944年6月、遂に連合軍は「史上最大の作戦」として知られるノルマンディー上陸作戦、オーバーロードを発動します。

その中にも無数の生と死のドラマがありました。

フランス北海岸の防御を担当していたのは名高いエルウィン・ロンメル元帥でした。

ある視察で、参謀長のガウゼ少将が野生の花が咲き乱れる野原を指さし、「すばらしい眺めではありませんか」と叫びました。

ロンメルは頷きながら言いました。

「ノートに書き留めてくれ、ガウゼ。この場所には1000個ほどの地雷が必要だ。」

これはユーモアから出た言葉ではありませんが、お花畑と地雷のギャップが好対照です。

いよいよ上陸作戦が目前に迫り、自分の命がいつしれぬものであることを誰もが自覚していました。

そんな中、アメリカ軍のハリー・ブラウン軍曹は、部下のグゥアイドスキー伍長が借金を返しに来たのでびっくりします。

そんな彼の表情を見て、伍長は言いました。

「地獄に行ってまで金を返せと追い回されるのはいやですからね。」

また、上陸を明日に控えた舟の中、フランス軍のフィリップ・キーフェル中佐は祈ります。

「神よ、ご承知とは思いますが、私はこれからおそろしく忙しくなります。私はあなたを忘れるかもしれませんが、どうかあなたは私をお忘れになりませんように・・・」

一方、上陸を支援するために事前に大規模空挺作戦が行われました。

しかし、ロンメルはこれあるを予測し、川をせき止めるなどしてあちこちに地図にない沼地を作り出し、そこに降下した多くのアメリカ軍、イギリス軍の空挺隊員の命を奪います。

そんな中、何とドイツ軍の司令部の中庭も中庭、ヨーゼフ・ライトヘルト少将の目の前に2名のイギリス兵が降下してしまったのです。

少将に尋問された1人が答えました。

「どうもすいません、将軍。でも、ここへ落ちたのは全くの偶然なので・・・」

降下はあちこちで計画通りに行かず、降下部隊が集合してみるとマクスウェル・テイラー少将と数人の将校がいましたが、兵隊が2、3人しかいなかったのです。

少将はつぶやきます。

「かつてこれほど多くの人間が、これほどわずかの兵を指揮したことはあるまい」

その頃ノルマンディーの海岸には、上陸を支援すべく連合軍の艦艇がすさまじい艦砲射撃を加えます。

ドイツ軍で防衛指揮所にいたヴェルナー・プルースカット少佐は師団司令部に砲撃を猛烈な受けていることを電話で連絡します。

その相手は正確な着弾地点を告げるように言います。

それに対してプルースカットな怒鳴り返します。

「正確な着弾地点?もう所構わずだ!巻き尺で穴を測ってこいっていうのか!」

一方、少なからぬ連合軍兵士が、上陸前に溺死していました。

その溺死体を見て、1人のアメリカ兵がつぶやきます。

「運がいい連中だ。もう船酔いに悩まなくてもいいんだからな」

ひどいブラックジョークに聞こえるかもしれませんが、一歩間違えば、これからでも自分が死ぬかもしれない状況で戦友を悼んだ言葉ではないでしょうか。

さて、フランスに上陸を果たした連合軍でしたが、当初パリをドイツ軍の手から開放するのは後回しにする予定でした。

パリ奪還は、連合軍全体の作戦にとって足かせとなる可能性があったからです。

しかし、フランス人にとってはパリ解放は最優先であり、さまざまな努力の結果、連合軍はパリへと進軍を開始、解放までには様々なドラマが有りました。

この舞台がパリなので、以下の言葉にも軍人ではない一般市民のものも含まれています。

パリ市民の生活は困窮していましたが、それをシャンソン歌手たちは笑いの題材にすることを忘れませんでした。

「配給になった肉は小さいので、パリ地下鉄の切符で包める程だ。しかも、改札のハサミが入っていない切符に限る。そうでなければ、ハサミが入った穴から肉がこぼれ落ちてしまうだろう。」

次はパリの平安ぶりを皮肉ったヒトラーの一言です。

この文に登場する最大の大物です。

ディートリッヒ・フォン・コルティッツ将軍をパリ司令官に任命する際の言葉の一部です。

「いまパリで戦闘らしい戦闘といえば、士官食堂のいちばんいい席の奪い合いくらいなのだそうだな・・・」

連合軍の進撃に呼応して、パリ市内のレジスタンスは蜂起します。

しかしそれは、ワルシャワの悲劇の再現となりかねない危険な賭けでした。

アンドレ・ゲランは第一次大戦のヴェルダンの戦場で脚を失い、そして今、ドイツ軍の戦車砲で義足を吹き飛ばされて言いました。

「ありがたい!奴らはいつもおなじところをぶっ飛ばすわい!」

1人の老人がラシーヌ街を、貴重な食べ物である2キロのジャガイモを荷車に隠して運んでいました。

しかし、ドイツ軍戦車の流れ弾が荷馬車を粉々にしてしまったのです。

無事だったジャガイモと荷車の残骸を、泣きながら集めて老人は言いました。

「しかし、少なくとも残ったジャガイモを煮る薪だけはできたわけだ。」

遂に連合軍はパリに入ります。

海兵隊大尉フランクリン・ホーコンは彼の伯母に再会しようと近道する余り、伯母の家の窓から入ります。

それをみた伯母のシルビアは叱りました。

「フランクリン、海軍兵学校では、婦人の部屋にはいるのに窓から入れと教えられたの?」

パリ司令官フォン・コルティッツはヒトラーから、パリが連合軍の手に落ちる自体になった場合はパリ全体を爆破して焦土と化すようにとの恐ろしい命令を受けていました。

しかし彼はこの命令を果たすべきか葛藤を続け、ドイツの敗北が避けられない以上、連合軍が早くパリを開放することが破壊からこの都市が救われる方法である、とまで考えます。

そして遂に連合軍の戦車が司令部のあるホテルにあらわれ、玄関に砲身を向けます。

それを見て不安げに「なにをするつもりでしょう?」と尋ねる部下に、彼は答えます。

彼らは戦車砲を使うつもりだろう。ちょっとした音がして、「ちょっとばかり困ったことになるだろうな」パリが開放された年の12月、ヒトラー最後の賭けである「ラインの守り」作戦が行われます。

奇襲によってアルデンヌの森を再び進撃し、連合軍の補給路であるアントワープまで進撃しようというものでした。

一般的には「バルジ大作戦」などで知られる戦いです。

最初は完全な奇襲でした。

戦いもない「幽霊戦線」と呼ばれていた戦線にいた兵士は、1944年12月16日の朝、突如猛砲撃にさらされます。

ここにいるアメリカ軍の将校達は、彼らと対峙するドイツ軍には、馬に牽引される2門の野砲しか無いと聞かされていました。

砲撃に肝をつぶしながら1人が叫びます。

「ちくしょう!やつらは、その大砲を引っ張る馬を、死ぬまで使うつもりなんだな!」

他の場所でも1人の兵隊が叫びました。

「とんだ軍事郵便がやってきやがったぜ!」

砲撃の後には、なだれを打ってドイツ軍のパンターやキングタイガー戦車がアルデンヌの森に進軍を開始します。

すごい数のドイツ軍戦車が今通っていることを知らせるため、1人の通信手が師団司令部への無線で叫びます。

「いいですか大佐、二階に上がっていって窓から小便をすれば、少なくとも6台のドイツ戦車にひっかかるんですよ!」

混乱の中からドイツ軍攻撃の全体像を把握したアメリカ軍は態勢を立て直し、そこでドワイト・アイゼンハワー元帥とジョージ・パットン将軍がこんな会話をしています。

「わしはね、ジョージ、進級するたびに、敵の攻撃を受けるんだよ」

「まったく、そしてあなたが攻撃を受けるたびに、私はあなたを救い出さにゃならんというわけですな」

命がかかった戦場で、よくもこのようにユーモアを忘れないものだ、とも思いますが、発狂しかねない状況で精神の平衡を保つため、必要なことだったのかもしれません。

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