いつの時代も発明や、新しい兵器が戦場を変えていきますが、20世紀の戦場を最も塗り替えた兵器の一つが、航空機であると言っても過言では無いでしょう。
それほど、この新しい兵器は戦争の仕組みを変え、戦争の花形たる存在にまでなっています。
この航空機が登場したのは、比較的最近のことで、ライト兄弟が実用可能な航空機を飛ばしたのが20世紀初頭、第一次世界大戦に実戦配備されて活躍しました。
今では戦争には当たり前の飛行機も、航空機の黎明期には偵察機としての役割しかありませんでした。
航空機の導入された初期の戦場では、敵パイロット同士が手を振り、あいさつを交わすことさえあった、といわれ、牧歌的な時代を象徴しています。
とはいえ、直ぐに航空機にもピストルや、手榴弾が持ち込まれ、敵の航空機を撃墜する任務を併せて負うことになります。
第一次世界大戦の半ばには、機関銃を胴体に積んだ戦闘機が既に出現していますし、この頃から撃墜王と呼ばれるエースパイロットが出現します。
第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期には、航空機だけで敵国を屈服させられる、といった思想も出てきて、航空機の生産開発も次第に熱を帯びてきます。
この時代の航空機は、木製の翼が二枚ある複葉機だったのですが、1930年代になると翼が一枚の完全鉄製の戦闘機も盛んに作られ始め、こういった航空機が第二次世界大戦では大きく活躍します。
その中でも特に有名で、名機と名高いのが、ドイツのメッサーシュミットMe109でした。
このMe109は、1935年に開発され、その後10年間の間ドイツ空軍の主力戦闘機として活躍したのです。
当時、航空機の世代交代が早く、特に第二次世界大戦に入ると2年毎に新機種が出ていたのに比べ、このMe109の長寿命ぶりは異常と言えるほどでした。
そのわけには度重なる改修があります。
エンジンも当初は1000馬力級だったものが2000馬力級にまで向上し、武装も歩兵が持つ機銃程度から30mm口径のモーターカノンにまで進化したのです。
このMe109は、その後の戦闘機の歴史にも大きな影響を与えています。
総生産機数も一万台を軽く超えていて世界一ですし、何といっても一撃離脱の戦法を実践してみせた戦闘機として有名でした。
一撃離脱戦法とは、当時の航空機の最新の戦法として注目されていたもので、大馬力のエンジンを積んで上昇高度を確保し、強力な武装で敵の上空から攻撃を仕掛け、一撃後は早急に離脱してまたこの戦法を繰り返すといったものです。
それまでは格闘戦が主流だった航空機の戦法に一大革新をもたらしたのでした。
また、この第二次世界大戦は航空機が恐竜的進化を遂げた時代で、爆撃機もより多くの爆弾を積んで戦略爆撃が出来るようになりましたし、戦闘機も航続距離が伸びてその攻撃力が増しました。
こういった時代に、日本も零戦を作り上げましたが、当時は傑作機だった零戦でしたが後継機が出ず、大戦後半は防弾装備の欠如と馬力のなさで苦戦を強いられたのです。
後継機の開発が思うようにいかなかった理由に、日本製エンジンの馬力不足がありました。
零戦自体も、当時の趨勢からはかなり低馬力でしたが、その後に良いエンジンの開発が続かなかったことでアメリカなどの列強に大きく差を付けられたのです。
当時の日本の開発陣や、軍が格闘戦を重視した戦闘機の開発に固執していたのも後継機の開発が思うように行かなかった理由でしょう。
その反面、アメリカ軍は強力で重防御の戦闘機を量産していき、新米パイロットでも扱える操縦性も兼ね備えた航空機を開発しています。
こういった設計思想の違いは、現代の航空機開発でも時折話題になることで、各国の思惑の違いや設計思想の違いが色々と現れていて、興味深いものがあります。
戦後の航空機は何よりも、ジェット化ということが主流となり、戦闘機も爆撃機もジェット化され、その能力を飛躍的に向上させていきました。
それとともに、ミサイルの発達が戦闘機の役割を変え、ミサイルは敵から離れて攻撃できるため、戦闘機には機銃は要らないとしてミサイルしか持たない航空機も出現したのです。
日本でも現役のF-4がその典型でした、とはいえ、こういったミサイル万能論は長くは続かず、ベトナム戦争でミサイルの命中率が、想像以上に低いことがわかったのです。
そのためにミサイルを撃ち尽くすと機銃を使った格闘戦に入らざるを得ず、機銃のない西側航空機はベトナムのソ連製航空機に大損害を被ったのです。
こういったこともあって戦闘機には機銃が今でもつけられるようになったのです。
また、この時代には戦闘機も速力を追求することはしなくなってきていました。
幾ら速力を上げても、生身のパイロットの耐えられるGには限度がありますし、何と言っても燃料の消費が激しく、割に合わなかったのです。
その代わり、アビオニクスや武器の搭載量を増やした航空機が増えていきました。
また、フライバイワイヤも1970年台になると標準的なものになっていきます。
フライバイワイヤとは、機体の制御を全て電子的に行おう、というもので、即座にパイロットの操縦が機体に反映されますし、自動操縦も可能になるなど大変利点の多いものでした。
この時代には、全天候戦闘機が当たり前になり、夜間であれ雨の中であれ攻撃できる戦闘機が標準的になりました。
こういった航空機の開発競争も冷戦が終わると下火になります。
F22は、冷戦前に開発されていた機体ですが、冷戦の終了でその意義が薄れ、配備になったのは2000年代にずれ込んでいます。
とはいえ、このF22は当時において実用化されていた、ステルス性を最大限に重視した唯一の第5世代航空機でした。
この機体は、表面にレーダー波を吸収する膜をはり、敵のレーダーに写らないようにしており、敵の戦闘機との交戦もしなくて済む上、一方的に敵を攻撃できるのです。
レーダーに映らないので、敵のレーダー誘導のミサイルも当たらないため、一機で何十機の敵とも渡り合えるのが魅力でした。
最近では、この第五世代機にアメリカのF35や、中国の戦20などが加わっていますが、今後の主流はこの第五世代戦闘機であることは間違い有りません。
しかし、こういった流れとは無関係に発展してきているのが無人航空機です。
無人航空機自体は1950年代から、既にありましたが、最近になってその存在がクローズアップされてきました。
何と言ってもこういった航空機は撃墜されても被害が少ないですし、どんなGにも耐えられるため、速力でも圧倒的に優位となります。
今では偵察機のグローバルホーク無人機や、対地攻撃用のプレデター無人戦闘機が主流で、その任務は偵察と対地攻撃が専らです。
しかし、制空用の無人戦闘機も開発が進められ、今後の世界の空はこういった無人戦闘機の戦闘で全て方がつく、ということも可能性としてはあります。
とはいえ、やはり高度な状況分析や、細かな作戦の変更などに対応できるのは人間の飛行士だけで、現状では有人戦闘機の優位は揺るがないようです。
加え、こういった無人戦闘機は基本的に無線を介して飛ばしているので、電波妨害されると脆いということもあり、戦闘機の主流たり得ていません。
しかし、戦闘機の世界にも、新しい進化の波が訪れ、国内でも平成の零戦と呼ばれる日本製の戦闘機、心神の開発も始まっており、今後どうなるのか戦闘機の世界から目が離せません。