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日本海軍

空飛ぶ戦艦と言われた二式飛行艇

ミリタリー雑学 0

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かつて、日本には「空飛ぶ戦艦」と呼ばれていた大型飛行艇がありました。 その性能は、戦後に残存した機体を受け取ったアメリカを驚かせ、「飛行艇の技術は、日本が世界に勝利した」とまで言わせたのです。 今回は、そんな脅威の性能を秘めた飛行艇「二式飛行艇」についてです。 二式飛行艇は第二次世界大戦中に川西航空機で生産され、1941年に初飛行を行いました。 略符号は「H8K」で意味はHが飛行艇、8は8番目の飛 […]

世界で初めて空母を作った国

ミリタリー雑学 0

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大艦巨砲主義で敗れたのか? 第二次世界大戦の初期は、戦争は空母と戦闘機、攻撃機や爆撃機といった、航空戦力が勝敗を決するという航空機全盛の時代への転換点でした。 そんな時代に日本海軍は、いつまでも旧時代の戦艦にこだわり、戦艦大和という無用の長物まで造艦した挙句に、「何の役にも立たずに撃沈をされた」、軍のトップは時代の流れを読めず、大鑑巨砲主義のまま戦争を遂行し、日本を敗戦に追い込んだというイメージを […]

大戦中の日本陸海軍兵器について

ミリタリー雑学 2

By: tata_aka_T

海軍の兵器 第二次大戦初期の日本軍の軍備は、世界的にみても欧米列強と比較してなんら遜色なく、特に海軍の艦船は優秀でした。 当時、日本の技術力の水準は高く、最速の駆逐艦だった島風は40ノットでの航行を実現、また大和型戦艦は46cmの大口径砲を合計9門を搭載しているにも関わらず、非常にコンパクトに設計され、しかも抜群の安定性を発揮、大和はレイテ海戦でアメリカ軍の魚雷攻撃を10発以上受けたにも関わらず転 […]

日本と魚雷

ミリタリー雑学 0

Torpedo Factory

魚雷は目標物へと向かい水中を航行、爆発によって破壊することを目的とした兵器で、魚型水雷(ぎょけいすいらい)の略です。 その歴史は長く、海戦で用いられるようになってから、現在に至るまで技術レベルの向上に合わせ高度に発展、進化し今なお用いられている兵器の一つです。 第2次世界大戦では、もっぱら水上艦に対する攻撃兵器の一つとして用いられた魚雷ですが、現在では対水上艦攻撃は対艦ミサイルに、その立場を譲る形 […]

ワシントン海軍軍備制限条約と大鑑巨砲主義

ミリタリーの歴史 0

Big guns on the USS Alabama

もし、1922年2月に締結されたワシントン海軍軍備制限条約の第六条「何れの締結国の主力艦も口径16インチを越える装備することを得ず」を含む協定に署名していなかったら、日、米、英海軍は、主力艦に主力艦にどんな口径の主砲を採用したのでしょう。 当時建設中の「長門」「陸奥」の主砲は、名称「45口径3年式41センチ砲」として大正6年7月17日付内令兵9号により、名称「45口径3年式40センチ砲」として公表 […]

将兵の士気を保つための売店、酒保

ミリタリーの歴史 0

By: Ben Salter

旧日本陸海軍における酒保とは 旧日本海軍の場合は軍艦内に、旧日本陸軍の場合は連隊内に設置された物品販売所である。 販売されている物品は多岐にわたり、干し菓子・缶詰・瓶詰・漬け物といった食料品に始まり、日本酒・ビール・ウイスキー・サイダー・ラムネ・煙草といった嗜好品、歯磨き粉と歯ブラシ・ちり紙・石鹸・コンドームといった衛生用品、鉛筆・便箋・封筒・インクといった文具用品、手ぬぐい・下着・裁縫用具まで販 […]

戦艦武蔵 – 日本帝国海軍の野望、71年ぶりに

ミリタリーコラム 0

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戦艦武蔵は、昭和13年3月29日に長崎造船所で起工され、完成、進水は昭和17年8月5日。 準備期間も含めると完成まで何と8年もの歳月を要し、その間信じがたいほどの日本人の叡智と技術、労力が費やされた。 3年半を費やした建造期間中、一般市民はもちろん長崎市民でさえ気づくことのない、「幻の軍艦」として厳重な監視体制で建造工事が行われ、昭和19年10月24日、フィリピンのレイテ作戦参加中にシブヤン海で沈 […]

日本映画に見る海軍特攻兵器

ミリタリーコラム 0

By: SDASM Archives

映画「出口のない海」(2006 松竹)で、市川海老蔵演じた主人公が、学徒士官として特攻作戦に参加する。 ここに登場するのが、日本最初の特攻兵器・回天だ。 敗色濃い昭和19年10月から帝国海軍が実戦に配備した回天は、単独搭乗用の潜水兵器で、海中から敵艦に体当り奇襲する。 何しろ、大型酸素魚雷に外装を被せ、潜望鏡や操舵桿を組み込んだだけの簡単な構造で、もちろん安全帰還の望みは全くなかった。 そもそも潜 […]

特攻をしなかった芙蓉部隊

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turugi

昭和20年、残された戦力として温存された航空機は、「特攻」という常軌を逸した作戦に使用されることとなり、まともな訓練も受けることなく、離陸がなんとかこなせる程度の訓練を受けた若者が、沖縄、硫黄島、日本近海など、さまざまな場所で跳躍するアメリカ機動部隊に立ち向かって行きました。 既に日本軍には、一般的な航空作戦を展開できる力が残されていなかったのではなく、それを実践できる搭乗員がいなかったのです。 […]

日本海軍特殊艦艇から見える、軍の後方支援軽視の思想

ミリタリーの歴史 0

By: FDR Presidential Library & Museum

太平洋戦争時の日本海軍の艦艇というと、戦艦大和や空母赤城などの大型艦艇や、ちょっとした知識がある人でも、重巡洋艦高雄、駆逐艦雪風や伊号潜水艦など、のいわゆる戦闘艦をイメージする人が多いだろう。 しかし、戦闘艦艇が「艦隊」として運用、あるいは作戦を完遂させるために使われた艦艇は、上記の戦闘艦艇だけではない。 本稿では、いわば「特殊艦艇」として、連合艦隊を裏から支えた艦艇について概説し、いかに後方支援 […]

「金剛型戦艦」太平洋戦争中最も活躍した戦艦(巡洋戦艦)

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By: fortbragg

太平洋戦争はその緒戦、真珠湾攻撃をはじめとして、航空機が主役となり、その主要な海戦のほとんどは展開された。 よく言われる、「大艦巨砲主義」の終焉である。 戦艦同士が遠距離からその主砲を打ち合い、駆逐艦や潜水艦が肉薄して魚雷を発射する、といった海戦は全時代的なものとなった。 大和型戦艦はその「大艦巨砲主義」の最たる例であり、大和型戦艦のネームシップである、大和と武蔵は実戦投入されたが、3番艦である信 […]

改マル5計画と「幻の空母機動部隊」

ミリタリーの歴史 0

By: Ben Salter

限りのある資源を使い、いかに戦力を増強するか。 太平洋戦争の最中、日本海軍はそのテーマと向き合い続けることになりました。 特に、1942年6月のミッドウェー海戦での敗北は、主たる戦力であった航空母艦4隻を一挙に失うという状況となり、自らが真珠湾攻撃、マレー沖海戦で立証した「空母こそ主戦力」という命題を、自らが解決せねばならない状況になったのです。 ミッドウェー海戦において航空母艦4隻を失ったことは […]

戦時標準船の誕生とその後

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By: anyjazz65

戦争に勝利するためには、敵国より強い兵器を持つことも重要であることは、誰もが知っていることですが、その兵器を作るための資材、または兵器を動かすための燃料は「資源」という名のもとに、地球上のあらゆるところに存在する。 鉄、アルミニウム、ボーキサイト、ゴム、石油・・・これらはすべて、第二次世界大戦中に必要であったにも関わらず、日本が手に入れることができなかった資源でした。 戦争はただその場の勝利を収め […]

駆逐艦 響

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Hibiki_II

不死鳥と呼ばれた艦船 響 音の「響き」から名前が付けられた日本海軍の駆逐艦 吹雪型(特型)の22番艦で暁型(特III型)の2番艦 建造されて間もなく、「雷」「電」と一緒に第六駆逐隊を編成。三隻合わせて「ライデンキョウ」と言われた。 この名前の日本海軍の艦船は神風型駆逐艦 (初代)「響」に続いて2隻目 「不沈艦」、「不死鳥」、「戦争を生きのびる運命の艦」などと呼ばれていた 簡単にまとめるとこんな感じ […]