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ナチスドイツの海洋兵器とUボート

2015年2月17日 ぼろねこ ミリタリー雑学

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ドイツ第三帝国海軍が長期に渡り、大西洋の制海権を握れたのは、潜水艦Uボートの活躍があったからだと言われる。

しかし、この名潜水艦の影には、多様な兵器が隠れていたことを忘れてはならない。

例えば魚雷は当時、我国では独自に開発に成功した酸素魚雷が主流で、第三帝国ではガソリンを用いたエンジンの構想が練られた。

8年にも上るエンジン開発の末、ユンカース社は新型エンジンを作り上げ、地上での耐用実験では、連続50時間稼働という、素晴らしい成果を上げる。

しかし、前線からの要望が高かったにもかかわらず、ナチ党内のヘルマン・ゲーリンクとアルベルト・シュペーアの虚しい対立が原因と思われる派閥争いの余波を受け、第三帝国海軍に採用されるには至らなかった。

さまざまな魚雷

磁気信管を用いた魚雷も、戦争初期から実戦に配備されます。

この魚雷は、当時最先端の技術だった近接電波信管を備えており、近接電波信管が目標船体から発生する磁気に反応するため、側面でなく、敵艦の真下で破裂するよう設計された魚雷だった。

By: Cliff

しかし、実際は深度調整舵が不完全だったため、戦果ははかばかしくなく、追い打ちを駆けるように連合国はこの仕組を解明し、一般船舶にも電気式磁気除去装置を普及させたため、磁気魚雷は全く効力を失ってしまう。

これとは別に、ドイツは音響誘導方式の魚雷も使っており、敵艦のエンジン音を探知、接近して船体に触れると爆発するもので、命中率も高かった。

しかしこれも、実験段階で、早くもその仕組みを解明した連合国側は、音を発するブイを海上に浮かべ、撹乱作戦で対抗する。

また、上下に魚雷2基をつなぎ合わせた形の秘密兵器も存在し、初期型がヘヒトと呼ばれた、この親子魚雷は、中が空洞になった上部に操縦士が搭乗、敵艦に限りなく接近してから、下の魚雷を発射する構想だったが、大きな欠点があった。

エンジンを付けた上部には空気供給装置がなく、操縦士は酸素ボンベからマスクで呼吸せざるを得なかったのだが、後にドレーガーウェルケ社が、潜水艦用の空気清浄装置を開発した結果、親子魚雷は改良に拍車がかかることになる。

これは更に、潜水艦の小型化まで発展、シュノーケル状の通気装置を備えることで、特殊潜航艇の初期型は、60時間に及ぶ潜航能力を誇った。

この進化形は、ジェット・エンジンにより水中で100キロの速度が期待され、両側面にそれぞれ魚雷を搭載した2人乗りのゼーフントは、さながら鯨類を思わすフォルムの小型潜航艇で、最高速度は8ノット近く、航続距離は800キロと考えられていた。

しかし、時、既に遅し、敗戦も間近だったのです。

洋上での偵察

Uボートには一時期、超小型飛行機が搭載されていたことがあった。

洋上での偵察用に開発された Ar231 は、全長およそ8メートルにも及んだが、折り畳めば、Uボート艦尾甲板上に設けられた、僅か直径2メートルの金属筒に収納可能。

重量は1トン程度だったが、最大時速180キロ、航続距離は450キロにも及ぶ性能と計算されている。

しかも、甲板上での組み立ても10分足らずと、大いに期待されていたのです。

しかし、いざ艦載してみると、たかが1メートルの波に翻弄されて、帰還不能という結果に終わってしまう。

既に生産を開始していたため、廃品が山を成したともいう。

それでも、当時の潜水艦に搭乗する監視要員は視野が極度に制限され、敵情偵察が覚束なかったため、海上に舞い上がった艦載機が、戦場を鳥瞰する着想は極めて魅力に富んでいたのだ。

次に考案されたのは、3枚の回転翼を具えた凧を、綱でUボートが曳航するという計画。

いわば、小型オート・ジャイロだ。

航空機製作を手掛けて来たフォッケ・アハゲリス社では、1942年には早くもヘリコプターの製作に着手、生産も可能だったようでもある。

ジャイロの発注先に白羽の矢が立ったのも、こうして既に、先鞭を付けていたからだろう。

敗戦直前まで、200機程が製造されたことが判明している。

7メートルの巨大な回転翼にもかかわらず、この小型艦載機 FA230 バッハシュテルゲは総重量80キロ余りという、驚くべき軽量を達成し得た。


なぜなら、その本体は外枠を欠き、操縦席は剥き出しという特異な形状だったからだ。

機体は、直角に組み合わされたスティール・パイプ2本が主幹を成し、長いパイプが胴体の主軸、もう1本のパイプが回転翼支柱となる。

主軸前方に計器盤と、足で操作する方向舵ペダルがあり、支柱中央に操縦席が設けれていた。

操縦席の下、主軸の底面に着艦用ソリが付いており、改良型では8メートルまで伸ばされた回転翼は、気流に乗り回転するので、エンジンは不要。

翼の中央、結合部は格納に際し折り畳む支点となり、緊急時のブレーキまで備え、回転翼支柱の下部に、ロープが付いたはずみ車があり、始動時には操縦士が自分の手で操作したという。

回転翼の骨組は木製、布張りで、後代のヘリコプターの翼と比較しても、何ら遜色はなく、更に、潜水艦が緊急潜水した場合の脱出装置まで考案された。

操縦者の頭上のレバーを引けば、回転翼が機体から切り離され、支柱の一部からパラシュートが開く仕組み。

ジャイロを始動させるためには、Uボートは海面に浮上、まず艦首を風に向け航行する。

甲板上の収納筒からジャイロを組み立て、連絡用の電話線を内包した曳き綱が取り付けられ、初めて回転翼を起動する。

洋上の操縦士からは電話で偵察結果が報告され、任務完了の暁には、ブレーキで翼の回転を停止、着艦する。

Uボートの改良点

Uボートそのもの改良点としては、例えばシュノーケルが挙げられよう。

シュノーケルの改善により、潜航中でも、ディーゼル・エンジンを動かす空気を取り込むことができ、加えて充電までもが望めた。

シュノーケルを伸長するだけだから、敵艦にも発見されず、レーダーにも探知されない利点があった。

更に、球状の弁を具えることで、海水が艦内に流入するのを妨げる工夫も凝らしてあった。

このような改良の結果、1944年にブルターニュ半島に孤立したUボート基地に侵入するに当っても、シュノーケルが大いに役立ったという。

付記しておくと、シュノーケルはオランダで発明され、1940年に占領した後に、ドイツがこの技術を導入したと言われている。

その他にも、Uボート探索を避けるべく、様々なダミーの囮(おとり)が考案された。

レーダーを撹乱するために、重りを付け、錫箔で包んだブイを海底に沈めた。

水中に垂直に浮かんだブイは、潜水艦に似た反響効果を生じた後、再び没したという。

同様に、妨害音波を発生する網状の金属塊、ワイヤー・メッシュ・グリットがUボート側面に付いていた時期もある。

これらの単純な仕掛も、かなりの成果を上げたらしい。

ここまで用心深かったのも、アスディックと称された潜水艦探知機を恐れたのが大きいが、海水に反応するとアセチレン泡の塊に変化するカーバイトの前には無力だったとも言われている。

そもそもこの探知機、元はドイツの科学者による発明品だという。

中世最強の海軍国スペインの栄華も、当時の先進地域イスラムの文化や、多くのユダヤ学者が支えたように、時に敵対する地域や勢力のカウンター・カルチャーの影響なくして、軍事技術の発展もあり得ないのだろう。

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