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マシンガン(機関銃)の歴史

2015年6月8日 マサ22 ミリタリー雑学

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マシンガンの成り立ち

高い破壊力を持つ機関銃は、敵よりも速く、多くの弾を撃つことを探求した結果、銃に機械をつけた瞬間、その歴史は始まります。

現在までに開発された機関銃には、様々な方式があり、「水冷式」「空冷式」「ベルト給弾式」「マガジン式」「反動利用式」「ガス圧利用式」「オートマチック」「セミオートマチック」など、多くの方式が開発され、様々な方法で高速で弾を撃ちだすことが出来るようになって行きました。

回転銃身で敵を一掃するガトリングガン

まず世界で初めて、実用的な威力を持つ機関銃を発明したのは、アメリカ人の医師であるリチャード・J・ガトリングでした。その能力は58口径、有効射程は約1100m、発射速度は毎分200発と驚くべきものです。

ただし、この高速な機関銃のしくみは自動ではなく、人間の力が必要な手回し式。1890年製のコルトガトリングガンは、銃身が10本、輪のようにつながっていて、その右側には手で回すクランクがあり、銃身を回転させて撃ちます。

銃身の中にはボルトと弾丸があり、ハンドルを回すと弾丸が一本ずつ順番に銃に装填されるようになっていて、決まった位置に来たボルトが自動的に押しだされることで弾丸が発射され、薬きょうが排出される、ということが何度も繰り返されていくシステムです。

銃は弾丸が発射されると摩擦で銃身が熱を帯び、連射すると過熱して銃身が損傷してしますが、このガトリングガンは10本の銃身が回って順繰りに発射するため、次の発射までに放熱できるため熱対策にも有効な構造でした。

ガトリングガンが登場するまでは、銃というものの発射頻度は、せいぜい1分間に2~3発程度。ところがこの機関銃は1分間に200発もの驚異的なスピードで複数の標的を撃つことができ、敵の大部隊をたった一丁で一掃することも可能となったのです。

例えば、コルトガトリングガンのひとつの弾装には40発の弾丸が入っており、弾装を替えるときもペースが落ちることはなく、この破壊力のおかげで、1898年の米西戦争において、ルーズベルト率いる騎兵隊は要衝サンフアンヒルを容易に攻略できたと言われています。

しかしガトリングガンにも欠点がありました。それは重量です。重さ約360kgの兵器は当時の運搬力では非常に苦労するものでした。ガトリングガンを部隊に配備しなかった指揮官として挙げられるのが、ジョージ・カスター将軍です。インディアンとのリトルビッグホーンの戦いにおいて、ガトリングガンを数丁持っていけるところ、運搬が大変なので進軍の遅れを懸念して運んでいかず、その結果、カスター隊はインディアンの返り討ちに遭って全滅してしまいました。

世界初の自動機関銃、マキシム機関銃

次に1884年製のマキシム機関銃について、この銃が戦闘のありかたを変えたといっても過言ではありません。303口径で発射速度は毎分500発、有効射程は約2700mのこの銃を発明家したのは、アメリカ人のハイラム・マキシム。

射撃の反動を利用して空の薬莢を排出しながら次の弾丸を装填するという画期的なシステムを採用し、全く新しい機関銃を作り上げたのです。

反動とは、弾丸を前に押し出すのと同時に生まれる押し返す力のことで、マキシム銃はその反動の力を利用することで、自動的に繰り返し弾丸を装填する仕組みになっており、一度引き金を引くだけで連続発射が出来ました。
これにより、もうガトリング式のように、クランクを手で回す必要がなくなったのです。

ガトリングガンには複数の銃身がありましたが、マキシム銃はたった1本。さらにこの銃は水冷式で銃身の回りをウォータージャケットが覆っており、銃身が加熱して水が蒸発し始めたら水を補充することで連続射撃が可能になりました。

熱は銃身にとって大きな問題であり、ガトリングガンは空冷式の複数の銃身でそれを克服していましたが、マキシム銃はウォータージャケットの中に銃身を入れて冷やすことで熱問題を解決したのです。

銃身を1本にすることが出来たマキシム銃は、ガトリングガンよりもはるかに軽量で、ガトリングガンの360kgに対し、マキシム銃は僅か73kg。兵士にとって持ち運びがずっと楽になりました。しかも発射速度が2倍になったため、誰もが欲しがり始めました。

第一次世界大戦において、マキシム銃は悪魔の絵筆と呼ばれ、兵士たちを恐れさせることになったのです。

ガトリングガンの2倍の発射速度に加え、軽量で移動しやすさを併せ持つマキシム銃は、戦場での戦術を一変させます。

大勢の兵士や馬が役割を解かれ、騎兵隊による突撃戦法はなくなり、戦場では兵士たちが塹壕(ざんごう、銃撃から身を守る溝など)の中にうずくまる、という戦法が取られるようになったのです。

また、迂闊に出て行けば、たちまち「悪魔の絵筆」によって蜂の巣にされてしまうため、戦闘中の敵陣と自陣塹壕との間は無人地帯になってしまいました。

ショウシャとブローニング

第一次世界大戦の期間、イギリス製のマキシム銃は「ビッカース」、またドイツ製は「シュパンダム」「MG08」と呼ばれ、アメリカ軍を含め、各国の軍がマキシム方式のオートマチック機関銃を備えます。しかし、当時のアメリカ軍は数が足りず、銃不足に悩んでいたのです。

そこへ同盟国のフランスが親切にもmle1915 ショウシャ機関銃という、8.5口径レベル弾、発射速度毎分300発、有効射程約230mの1915年製の銃を差し出してくれたのですが、それはすぐに送り返したくなるような代物でした。

なぜかと言うと、このフランス製の機関銃には欠陥だらけだったからです。

ショウシャ機関銃は、マキシム銃より小型で軽かったのですが、ベルト給弾式ではなく、オープンマガジン式でした。これが仇となり、マガジンに塹壕の泥がかかるとすぐに詰まり故障してしまうのです。

そこでアメリカ軍は自力で高性能なマシンを生み出します。それが、ブローニングM1917です。この銃は30-06口径、発射速度毎分450発、有効射程約2300m、この銃は強力な30-06弾を使用しており、さらにオートテイル型。弾道学に新境地を開きました。

当時最も信頼できる機関銃のひとつ、ブローニングM1917機関銃は、瞬く間にアメリカ軍の主力兵器となり、兵士に人気があったため、1918年からはじまり1953年に朝鮮戦争が終わるまで、長きに渡って使用されることになったのです。

しかしながら、これほど便利で強力なブローニングM1917機関銃も、やはり一人で運用できない点はマキシム銃と変わりません。持ち運びは4人がかり、射撃手が三脚を背負って、助手が本体を担ぎ、三人目がチューブなどを持ち、弾薬係が弾薬を運ぶなど、チームで運用しなくてはならないものでした。

一人で持てるサブマシンガン

そこへ、超軽量、超小型の機関銃が登場します。

それは、兵士が一人でも射撃できるサブマシンガンです。これは機関銃のフルオート射撃能力を利用し、ピストル用の小型の弾丸を発射させる銃のことで、軽いため一人でも持ち運びが可能になりました。
しかし、フルサイズ機関銃ほど正確ではなく、飛距離も短いので、標的を銃撃するには自分から近づいていかなくてはならないという弱点もあります。

1921年製「トンプソンサブマシンガン」は45口径、発射速度毎分800発、有効射程約46m。当時世の中を騒がせたサブマシンガンです。愛称「トミーガン」と呼ばれたこの銃で、ギャングの「アルカポネ」「マシンガンケリー」などに好んで使われていました。
ちなみにギャングたちもトンプソンサブマシンガンに独自のあだ名をつけており、「タイプライター」と呼ばれていたそうです。

さて、この銃が小型軽量化したのは、オートマチック射撃機能を簡素化したためです。弾丸がマガジンからスプリングの前に吹き戻され、薬きょうが排出されると、次の弾丸が装填されるという仕組みでした。
しかし、「吹き戻し」という言葉が示すように、トンプソンサブマシンガンは反動が大きいので撃ちにくい銃で、連続射撃のうちに銃口が上向きになっていくのです。それを防止するため、フォアグリップが縦についていました。

次に、1940年製MP40サブマシンガンは、9口径、発射速度毎分500発、有効射程約100mを誇るドイツ製の機関銃で、その製造過程が画期的で、低コスト、素早い量産が可能となり、ドイツ軍兵士の多くが使用することになりました。

MP40はトンプソンと同じくブローバック作動方式ですが、直径9mmと小さく、マガジンも小型になっています。装弾数はトンプソンサブマシンガンより18発少ないですが、反動が抑えられているので、アメリカ製のトンプソンサブマシンガンより正確に撃てる優れものでした。

こうして時代とともに機関銃は変化していったのです。

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