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失敗機は成功機の母

2015年4月28日 Freude ミリタリー雑学

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何時の世にも失敗した兵器は存在するものですが、所変われば品変わる、で一度お払い箱になった物が他の国で意外な活躍をしたり、違う用途で使われたら成功した、ということがままあるようで、ここで挙げる兵器は失敗と成功、二つの面の実戦経験があるものばかり紹介します。

ブルースター F2戦闘機

まずはアメリカ空軍の「ブルースター F2」、1939年に制式採用されたこの戦闘機ですが、既にドイツのBf109には叶わないと判断されてしまいます。

いわゆる「出オチ」みたいなもので、既に運命に暗雲が立ち込めてしまいました。

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ところが、何を思ったかこれを数百機も買ってしまったイギリスは「バッファロー」と名付け、日本の戦闘機にはこいつで十分とばかりに太平洋方面に配置されました。

ところがこれが大誤算で、たちまち日本海軍のゼロ戦だけでなく、陸軍の一式戦闘機「隼」にも空で落とされ、陸で破壊されて壊滅状態に。生き残ったものも鹵獲されて日本の国策映画にやられ役として晒し者になるなど散々な末路をたどりました。

当時ソ連との「継続戦争」を戦っていたフィンランドは、アメリカは、在庫整理も兼ねてフィンランドに供与されていたブルースター F2A44機を実に大切にしました。

撃墜されても修理可能な限りは直してまた飛ばし、敵の支配地域に墜落しても、決死の覚悟で回収する部隊を派遣するほどで、当時のフィンランドの飛行機修理技術は、ほとんど神の領域に達していたと言われます。

ある時、ソ連が「B-239(バッファローのことです)を50機撃墜」と発表するのを聞いて、全部でも44機しかないのに、とフィンランドのパイロットたちは大笑いしたとか。

さて、そのキルレシオは一説では21:1 であったとされ、つまり1機のバッファローを落とす間にソ連軍は21機を失ったことになります。

一般に一人で5機の敵機を撃墜すると「エース」と呼ばれますから、バッファロー(フィンランドでは「空の真珠」とまで呼ばれました)乗りは平均でスーパーエースだったことになります。

その中で1位のハッセ・ウィンド大尉は通算撃墜数75機のうち、バッファローで39機の撃墜を記録しています。

彼の次の乗機が傑作機、Bf109Gであったことを考えると、バッファローの性能で半数近くのスコアを上げているのですから驚きです。

鈍重ながらもアメリカ機らしい頑丈さを持っていたことが、この活躍につながったようです。

エアラコブラ

一方、フィンランドの敵役ソ連でも、アメリカでは失敗機とされた戦闘機のリサイクルがありました。

ベルP-39「エアラコブラ」です。

エンジンを機体中央部に置いて機種が流線型にすぼまったスマートな外観と(日本軍の呼び名「カツオブシ」が言い得て妙です。)、プロペラ軸内を通した大口径37ミリ機関砲で、かなり強そうに思えます。

ところが、高いお空ではエンジンが咳き込んで、ゼロ戦の敵手たりえませんでした。

しかも長い離陸距離が必要で、イギリスも買ったはいいが、運用できる空港がほとんどないという有り様でした。

そこで失敗機のお定まりのコース、今度はソ連への供与に回されます。

スターリンも嫌いだが、ヒトラーはもっと嫌いという消極的選択の末の武器供与には、失敗作はもってこいの武器でしたが、これがソ連軍では大好評

暗い雲が立ち込めることが多いロシアでは、空戦も低空で行われることが多く、赤い星をつけた「エアラコブラスキー」はアメリカ仕込みの頑丈さを活かして大活躍し、ドイツのBf109やFw190といった名機相手に大健闘しました。

空戦が無いときは一撃必殺の37ミリ機関砲で陸上のドイツ軍を機銃掃射します。

37ミリと言ったら、後のJU87Gという、対地攻撃戦闘機の装備と同じですから、やられた方はたまったものではありません。

しかも、エアラコブラスキーはJU87Gよりはるかに速いので、同じ口径でも弾速が上がって破壊力はこちらが上です。

イギリスで問題になった長い離陸距離も、不整地に強い機体構造から、有り余るロシアの大地が滑走路になることで問題とはされませんでした。

マイナス30度でも吹雪でも、平気な顔で飛び立つソ連軍のパイロットにとって、頑丈であることも大きなメリットでした。

こんな素晴らしい戦闘機をポンと4,700機もくれるなんて、アメリカ人は本当は良い奴なのではないか、とソ連軍は美しい誤解をしたかもしれません。

当のアメリカは、出来損ないを厄介払いできてせいせいしたというのが本音でしたが。

これらの例は軍が採用はしてはみたが、という例でしたが、次は採用すらされなかった戦闘機の例です。

採用すらされなかった戦闘機

1950年台のイギリス、ジェット戦闘機デ・ハビランド「ベノム」の後継たる戦闘機が2つの機種から決められることになりました。

1つはホーカー「ハンター」で、もう1つがこの話の主役であるフォーランド・「ナット」です。

ハンターは運動性能に優れており、対地攻撃もできるというマルチロール機で、対するナットの武器は、「安い、小さい、簡単」でした。

ハンターの全長14mに対してナットはわずか9m足らずで、整備の手間は従来に比べて5分の1,価格は3分の1というのが「売り」でした。

もう戦争はないんだから、お金がかからないほうがいいですよ、という訳ですが、しかし、軍配はハンターに上がります。

いくら平時だからといって、世界最古のロイヤル・エア・フォースが安いという取り柄に飛びついては沽券に関わると思ったのか、単に装備が30ミリ機関砲2門だけだとまずい、と思ったのかは知りません。

ともあれ、ナット(英語で「ブヨ」)と名付けられ、今度はお手軽さが買われて練習機としては採用になり、地味な人生のスタートを切りました。

しかし、国内では競争に打ち勝ったハンターでしたが、米ソ軍拡競争の中で超音速飛行が当然なご時世で、亜音速というのはいかにもスペック不足で、まもなく第3世界に多くが輸出されたのです。

イギリスとつながりが深いインドにも輸出されましたが、一緒にナットもそっと輸出され、こうしてインド空軍で、イギリスで採用された機とされなかった機が肩を並べることになりました。

そんな時、カシミールの領有権を巡ってインドとパキスタンの間に、第2次、第3次の「印パ戦争」が起こります。

この2度の戦争での空の戦いで、思わぬ活躍をしたのがほかならぬナットで、パキスタンの主力機は、朝鮮戦争で多くのミグ15を屠ったされる、ノーアスアメリカンF86Fセイバー」でした。

しかも空対空ミサイル「サイドワインダー」を装備して格段に戦闘力が上がっており、ハンターとセイバーは死闘を繰り広げ、お互いに大きな被害を出し、そんな中、ナットは「セイバースレイヤー」と呼ばれるほど、対セイバー戦では活躍しました。

まず、的が小さいということは非常なアドバンテージとして働き、そして砂漠の上空で多くの空戦が行われたこともナットに利しました。

セイバーがナットをロックオンしてサイドワインダーを放つと、セイバーはその運動性能を活かして太陽のある方に逃れます。

サイドワインダーは赤外線追尾なので、小さなナットの排気口より、より大きな熱源である太陽に向かって燃料が尽きるまであてどもない旅を続けることになったのです。

以上、第2の人生で活躍した戦闘機のエピソードを見ると、「名機」とは状況によって基準が大きく違ってくるものだということがわかります。

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