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巡洋艦について

2015年4月20日 マサ22 ミリタリー雑学

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巡洋艦」の主な役目は、戦艦艦隊のための偵察警戒、貿易の保護にくわえ、無線電信が実用化されるまでは、信号を中継したり、至急信の文書を運ぶことでした。

これらの任務を果たすためには、巡洋艦は高い速力と長い航続能力を必要としました。

ですから、蒸気推進機関が一般に用いられるようになったことは、巡洋艦にとってはその船体構造に鉄がつかわれはじめたことよりも、いっそう重要な意味を持っていました。

巡洋艦に対して望まれる性質は、国によって大幅に相違があり、一概に定めることはできません。

巡洋艦の発達は、海外に植民地や領土を持ち、貿易を保護し、交通を維持することによって支えられた海洋国家の研究によるところが多く、このような国の海軍は、あらゆる型の巡洋艦を必要としました。

初期の鉄製フリゲートは、大型で高速、言うまでもなく全装帆艦で、この種の艦はたくさん造るためにはあまりにも高価だったため、フリゲートをやや低速、小型にした鉄製のコルヴェットが現れました。

どちらの艦でも大砲は従来どおり両舷側に備えられ、艦首・艦尾には人力で操作する小さい追撃砲もありました。

また、コルヴェットよりもさらに小型で、速力の出るのが通報艦でした。

通報艦はその機関と小型化のため重量もスペースも食われてしまい、ほんのわずかな武装しか持ちませんでしたが、1879年頃、すでにイギリスのアイリスは18ノットの速力を持ち、その頃では世界一足の早い軍艦でした。

遠く本国を離れて守備地にいる巡洋艦は、時として小型の装甲艦と立ち向かうこともありましたが、これに近づいて決戦を挑むことは難しく、そこで巡航装甲艦というのが現れました。

その最初のモデルはイギリスのシャノンで、この艦は艦首を敵に向けて戦うように設計されていて、その場合、甲板よりも深く下方まで達する装甲隔壁が敵艦と向かい合い、隔壁の上縁の左右両端の切り欠きかあ、主砲が前向きにのぞいていました。

しかし、この艦が後年まで忘れられずにいるのは、水線下に設けられた装甲甲板のためでした。その頃の戦闘距離は近くて、弾道は平低だったため、水平の装甲は薄くても相当に防御の役には立ったのです。

この時代には巡洋艦に対して、多くの重量が必要な防御を施すという考えはなく、装甲甲板ならば少ない重量で広範囲に設けることができるので、この方式が一般に用いられ、全装帆が見捨てられ、後装砲が用いられるようになると、著しい進歩が起こりました。

機関室の上部だけに部分的な装甲甲板を持ち、13ノットで走ることのできた全装帆型のコルヴェットに相当するものが、わずか数年のうちに、全面に装甲甲板を備え、16ノットで航走する双推進器艦となったのです。

装甲甲板の両舷側に終わる部分はやはり水線下にありましたが、その中間はアーチ状に中高となっていて、水面よりも少し上に出たので機械室やボイラー室は天井の高い部屋になりました。

装甲甲板が水平ならば、舷側に穴が開いたときに侵入した海水は、甲板の上一面にたまって艦の安定を害しますが、甲板に中高のそりがあると浸水は舷側に沿った、せまい凹部に限られるので、この不都合が避けられるのです。

巡洋艦の艦内配置は、ほぼ全て昔からのしきたり通り、船首楼と船尾楼があり、これが両舷にそった高い舷しょうでつながれ、その中に両舷側にそって大砲が並べられていました。

この舷側砲方式が戦艦よりも巡洋艦の方に後年まで用いられていたのは、これが巡洋艦の戦闘の型により適していたからです。

巡洋艦は、たいていその主隊の外翼にあって最初に敵と接触し、引き続いて起こる乱戦では、右にも左にも現れる敵艦と両舷で戦うことは必定とされていたのです。

1885年、アームストロング社はチリーのためにエスメラルダを完成し、巡洋艦建造技術について名声を獲得しました。

船首楼も船尾楼も舷しょうもなく、大口径10インチ、重量25トンの追撃砲が前部と後部に、中口径の6インチ、4トン砲は中部に備えられ、防御は全体にわたる装甲甲板が用いられ、しかも18ノットを超える速力が実現しました。

これがすべて3,000トン足らずの排水量でできたので、それからの何十年かはエルスウィック型巡洋艦といえば、世界の小型で高速で重兵装の軍艦の調整者と言われていました。

水雷巡洋艦」というのは、一種の航洋水雷艇として着想されたもので、いくぶん時代に先走ったところがありましたが、健全なアイディアでした。

大型で耐洋性のある船体では、水雷艇ほど軽快高速とはいきませんでしたが、約10門の魚雷発射管を艦首・艦尾・両舷側に備え、前後の船楼甲板には小口径砲を備えました。

わずか1,500トンの排水量に対しては兵装が多すぎるので、水雷巡洋艦は波があると速力が出せません、そこで、天候がよくないと有効な発射点まで敵に近寄ることができません。

全天候性のない巡洋艦では、使い物にならず、この型の艦は巡洋艦史上わずかな間に現れたにすぎず、魚雷を主兵装とすることは、一般任務の巡洋艦に対しては適切ではありませんでした。

19世紀の末までは、どこかの国で通商破壊に役立つような巡洋艦を造ると、イギリス海軍はただちにこれに対抗できるような艦を建造するのが通例で、それはイギリス帝国の存立は絶対的な海上交通に依存するものだったからです。

これらの巡洋艦は必ず大型の艦で航続距離は長く、高速力で、兵装には少数の大口径砲を含んでいました。

イギリス海軍にとっては、この劫略艦の出現ははなはだ厄介な問題で、いやおうなしに大型の巡洋艦を建造し、これに立ち向かわざるを得ないはめに追い込まれたことも、一回や2回ではありませんでしたが、そんな大巡洋艦は、通常の艦隊用としてはまったく適当ではないのでした。

イギリス最初の装甲巡洋艦オーランドー級は、貿易航路を他国の劫略艦から保護する目的で造られましたが、これはいろいろな点でアドミラル級の戦艦の縮小版でした。

この艦は中部の両舷にだけ厚さ10インチの水線甲帯を設け、その前後端にあたるところには厚さ16インチの装甲隔壁を備え、この範囲の上面は全面を厚さ2インチの甲板で覆い、甲帯のない前部と後部は、端部まで厚さ2~3インチの上にそりを持った甲板が設けられていました。

司令塔は厚さ12インチ、砲楯は厚さ4インチと、小型の装甲艦と交戦ができるような寸法の防御を施し、全部と後部の中心線上には9.2インチ砲、、中央部の両舷には10門の6インチ砲という兵装を備えていました。

もっとも興味あることは、この艦にははじめて3段膨張式の蒸気機関が、従来と同様の横置型として装備されましたが、この機関は最初提案された複合型機関に比べて1,000馬力も余分の出力が得られ、そのために速力も1ノット増して19ノットに達しました。

装甲のおかげで得られた防御能力は、装甲巡洋艦や防護甲板付の巡洋艦を一般の無防護の巡洋艦よりも上位の軍艦にし、防御のあるものは最大級となり、全般的防御のないものはその排水㌧数にしたがって1等、2等、3等と類別されることになりました。

この区間はできる範囲ではそれ以前にさかのぼって適用され、巡洋性のある装甲艦で主力艦に列せられないものは装甲巡洋艦となり、鉄製のフリゲートは1等、同じくコルヴェットは2等、スループや通報艦、水雷巡洋艦は3等の、それぞれ防護巡洋艦とされたのでした。

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