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マークI – WW1で戦った最初の戦車

2015年2月24日 たまとっと ミリタリーの歴史

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地上最強の兵器

現代において、陸地での戦いで最も強力な兵器と言えば何かと問われれば、殆どの人は戦車だと答えるでしょう。

事実、陸上戦において戦車以上に火力・装甲・機動力をバランスよく備えた兵器は存在しません。

対戦車ミサイルや対戦車榴弾のように、理論上戦車を破壊しうる武器ありますが、それらをもってしても戦車以外の陸上兵器が、戦車と対等に渡り合うのは難しいのです。

黎明期 – 菱形戦車マークI

戦車の歴史を語るには、まずは歩兵戦術の歴史について語る必要があります。

銃の性能がまだ低かった時代、歩兵は隊列を組んで前進し、一斉射撃を繰り返してから突撃を敢行する戦術を採っていました。

銃の命中率が低かったので、これでも充分戦術として成り立っていたのです。

しかし、近代に入って銃の性能が向上し、第一次世界大戦には機関銃の大規模運用が始まったことから、隊列を組む昔ながらのスタイルは完全に廃れ、地面に掘った壕に身を隠す塹壕戦が広まりました。

これによって防御側が圧倒的優位な時代が訪れたのです。

当然、各国は「どうやって敵の塹壕を突破するか」の研究を重ねました。

その一環としてイギリス軍が発案したのが「陸上軍艦」というプランでした。

砲弾の着弾痕で不整地と化した戦場を前進できる履帯(キャタピラ)、対歩兵用の機関銃に耐えられる装甲、でこぼこの地面を走り抜け、敵陣地から雨あられのように飛んでくる銃弾に耐え、有刺鉄線や塹壕を乗り越えて敵陣地で火力を発揮する。

このコンセプトに基いて作られたのが、世界最初の戦車「マークI戦車」です。

アイディアの元になったのは、当時アメリカのホルト社(現キャタピラー社)が実用化に成功したばかりの無限軌道式トラクターでした。
(キャタピラというのは元々ホルト社のトラクターの商品名で、一般名詞としては無限軌道か履帯と表現します)

これにヒントを得たイギリス陸軍のスウィントン中佐が、履帯プラス装甲の戦闘車輌を思いつきますが、陸軍はこれを却下。

ところがこのボツ案にイギリス海軍が興味を示し、戦車の開発が始まりました。

陸戦最強兵器を最初に開発したのが海軍だというのは面白いところです。

マークI戦車は現代の戦車とは大きく形状が異なり、菱形や平行四辺形に近い形状をしています。

履帯も車体側面全体をぐるりと囲むように付けられていて、車体の下の方に履帯が付いている現代のスタイルとは、かなり違って見えます。

実はマークI戦車以前の試作品として、現代の戦車と同じ場所に履帯のついたリトル・ウィリーという試作戦車が存在していましたが、要求性能を満たせなかったため実用化されなかったという経緯があります。

その更に前には、市販のトラクターを改造した試作車が作られていたなど、試行錯誤が繰り返されていたことが伺えます。

まさかのデビュー戦

マークI戦車の初めての実戦投入は、発案から一年半後、1916年7月にフランス北部のソンム河付近、第一次世界大戦における最大の戦いとされるソンムの戦いでした。

ところが、戦車のデビュー戦は大舞台でありながら芳しいものではありませんでした。

イギリス軍はこの戦いに60両の戦車を投入する予定でしたが、輸送中のトラブルなどのため実際に用意できたのは49両だったのです。

そのうち、きちんと稼働させることができたのは18両、その大半も実戦投入させることはできず、実際に戦闘に参加したのは僅かに5両という、惨憺たる結果に終わりました。

しかしそれでも、戦車という新兵器が敵味方に与えたインパクトは大きく、多くの国々が戦車の研究開発を進めるようになったのです。

ちなみに、それから一年二ヶ月後のカンブレーの戦いでは、マークIの発展型であるマークIV戦車を含む378両もの戦車が投入され、一定の戦果を挙げています。

マークI戦車、その能力

戦車の歴史に栄えある第一歩を刻んだマークI戦車ですが、前例のない新兵器だから仕方がないとはいえ、それ自体の性能はあまり良好ではなかったようです。

エンジンが乗員と同じ空間に配置されていたことによる騒音。

エンジンの排気や悪臭。

排熱による異様な高温。

サスペンションなんていう気の利いた部品はなく、乗り心地は最悪、更に車内は真っ暗で銃眼からの光だけが光源と、居住性の面だけでも酷い有り様で、兵器としての性能も洗練されていません。

乗員8名、うち操縦担当4名と、かなりの人手が必要で、頼みの装甲も決して無敵ではありませんでした。

手榴弾をくらえば破壊されてしまいましたし、運の悪いことにマークI戦車の装甲を貫通できる徹甲弾「SmK弾」が既に開発されていたのです。

これはマークI戦車に対抗して生み出されたものではなく、長距離狙撃のために作られた弾丸が、たまたま有効だっただけなので、本当に運が悪いとしか言いようがありません。

攻撃力の面でも問題がありました。

マークIは塹壕突破を主目的とした雄型と、雄型を援護する雌型の2パターンの武装があり、それぞれ57mm砲2門と7.7mm軽機関銃、7.7mm重機関銃4挺と7.7mm軽機関銃1挺を装備していました。

当時としては申し分なかったのですが、マークI戦車は回転砲塔を持たなかったため、同じ方へ一度に向けられる火力が限られている欠点がありました。

肝心の塹壕突破能力に関しても、通常の塹壕であれば突破できましたが、普通より幅の広い対戦車壕を設けられると突破できませんでした。

兵器・戦術の進化はイタチごっこなので、こればかりはしょうがないのかもしれませんが。

また、速度も時速3.2kmと文字通り歩いた方が速い程度で、旋回性能も低く、現代の戦車のような機動力は発揮できなかったようです。

このように幾つもの欠陥を抱えていたマークI戦車ですが、マークII、マークIII、マークIV、マークVと改善・改良が進められ、兵器としての完成度を高めていきました。

菱形戦車の系譜が後世に引き継がれることはありませんでしたが、戦車の歴史においてマークI戦車が偉大な先駆者であることは歴然たる事実です。

菱形戦車の系譜

先に書いた通り、第一次世界大戦を通じてマークI戦車の後継機の開発が行われ、少しずつ完成度を高めていきました。

ハッチ増設など細部が改良されたマークII戦車、武装の改良と装甲の一部狂化が施されたマークIII戦車。

この二つの変更点はあまり大きくありませんでしたが、次のマークIVはこれまでの菱形戦車の集大成とも呼ぶべき戦車になりました。

マークIVの改良点でまず挙げられるのが、地獄のようだった居住性の改善でした。

エンジン冷却ファンや換気扇が設置されたことで、乗務員達を苦しめていた排気や熱を軽減することができるようになりました。

また、マークIの装甲を貫通できたSmK弾にも対抗できるように装甲材も変更され、生存性のみならず防御力も向上しています。

余談ですが、この1000両以上も生産された、このマークIV戦車、ドイツ軍のA7V戦車との歴史上初めての戦車同士の戦いを経験した車種でもあります。

続くマークVは、第一次世界大戦中に量産された最後の菱形戦車です。

機動力、装甲、火力などあらゆる面がマークIVより強化されたほか、これまでは操縦担当だけで4人がかりだったところ1人で操縦できるようになりました。

火力の増強は浮いた3人のうち2人を砲手・機関銃手に回すことができたことにも起因しています。

その後もマークVI、マークVIIと開発が進められましたが、この二種は途中で開発が打ち切られ、量産されることはありませんでした。

マークVIIIは、1500両の量産が計画されたものの、開発中に終戦。

100両分の部品がアメリカで組み立てられ、制式採用されるに留まりました。

マークIから続く系譜の最後を飾るマークIXは非武装の輸送車両で、世界初の装甲兵員輸送車とでも呼ぶべき存在です。

そのためマークVIIIが、最後の菱形戦車であると言えます。

菱形戦車の終焉

世界最初の戦車という栄誉を得た菱形戦車ですが、その後の戦車はFT-17軽戦車のスタイルに追随し、菱形戦車のスタイルは廃れてしまいました。

菱形戦車の設計思想を受け継いだインディペンデント重戦車や、TOG1重戦車も、実戦参加することなく退役したり試作機の製造だけで開発が打ち切られるなど、不遇な結果に終わりました。

しかし、マークIが生み出した「戦車」という概念は今も不動の存在として残り続けているのです。

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