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信じられない日本軍の「特攻兵器」

2014年11月22日 黄昏入 ミリタリーの歴史

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 太平洋戦争も末期になるころ、「一億総特攻」の名の下、日本の戦争指導者たちは、命を散らしてでもアメリカを中心とする連合国軍に一矢報いようと、様々な特攻作戦を企画立案しました。

いずれの作戦も、1人の命がなくなることを前提として、かつ1名の命で連合国軍の兵士を多く殺傷することを強いた作戦であり、後世となった今でもその作戦の是非が問われています。

 大本営では真剣に特攻兵器の研究がすすめられ、かつて連合艦隊の参謀として真珠湾作戦などに携わった黒島亀人大佐などが積極的にそれらの開発を促進し、その結果信じがたい「特攻兵器」が誕生することとなったのです。

1人の命で多くの敵兵を殺傷することを目的に作られた「特攻兵器」。今回はそれらの特攻兵器について、あまり知られていない兵器について紹介したいと思います。

潜水兵器「伏竜」

特攻兵器の大半は、日本本土に上陸してくる連合国の艦船を上陸前に破壊することが目的となっていました。

本来であれば、上陸しようとする艦船に対し、航空兵力や水上兵力(軍艦等による砲撃)によってそれらの戦力を削減し、削減した敵戦力に対して陸上から砲撃を加えるというのが上陸を拒むためのセオリーと言える戦術です。

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しかし、1945年になると航空兵力は特攻主体となり、通常期による攻撃はむしろ忌避される傾向となり、水上兵力として期待される軍艦は1945年4月の「菊水作戦」で、戦艦大和ひきいる第二艦隊が海上特攻の果てに壊滅したことと、軍艦を動かすための燃料がすでに無くなっていたこともあり、本土に連合国軍が上陸してくる際、抑止力として期待できる状態ではありませんでした。

つまり、この時点で日本本土を守り抜くための手段は「特攻」しなかったのです。

特に、本土に上陸してくる連合国軍に出血を強いるためには、秘匿された特攻兵力により、不意打ちする形で攻撃を仕掛けなければ、戦果は見込めません。そこで潜水服を装着して連合国軍の上陸が想定される海岸に待機し、水中から特殊な機雷を上陸艦艇の底に突き刺し、上陸してくる連合国軍にダメージを与える作戦が検討されたのです。

ここで開発されたのが「伏竜」です。伏竜は、既存の潜水服を改良して、水深20mまで耐えられる特殊な潜水服となり、既存の機雷を棒状にして、海中から艦艇の底に突き刺せるように改良がくわえられました。

1945年6月には伊勢湾や志布志湾など、実際に連合国軍の上陸が想定される地域に部隊が配置され、上陸に備えつつ訓練が実施されるようになりましたが、潜水服の不良による事故、機雷の暴発による事故など、決して戦力として活用できる代物ではありませんでした。

実際の作戦としては、モーターボートの先端部に魚雷等を付け、艦船に体当たりする特別攻撃艇「震洋」と連携した作戦が予定されていましたが、本格的に日本本土に上陸する前に戦争が終結したので、無用な出欠は避けられたのです。

ちなみに「震洋」は、沖縄戦に一部投入されましたが、沖縄本土に上陸する前に、配備されていた慶良間諸島などが攻撃を加えられたことで、その戦力の大半が投入前に破壊されてしまったので、戦果を挙げることはできませんでした。

改良型「桜花」

ロケット弾に操縦者が乗り込み艦船に特攻する「桜花」は、特攻兵器の代名詞として知られている兵器です。実際に運用されるときには、陸軍機「一式陸攻」に吊り下げられた状態で戦場に出向き、切り離された桜花は2000mほどの自力航行能力を発揮し、音速に近い速度で敵艦船に特攻するという運用方法でした。しかし、実際には戦場にたどり着く前に優勢な敵航空兵力に阻まれ、一式陸攻もろとも撃墜されてしまうというのが現実でした。

戦場での惨状をふまえ、特攻兵器として改良された桜花の開発が進められることになったのは、1945年6月のことです。

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地上の航空基地から助走装置を使って離陸した桜花は、日本本土に上陸してくる敵艦船に特攻を加えることができるよう、搭載燃料の増量なども図られ、房総半島など実際に連合国軍の上陸が想定されている海岸等には、桜花専用のカタパルトが設けられ、敵の上陸が迫ってきた時点で、カタパルトを使って桜花を発進させるように準備が進められていたのです。

ちなみに「桜花」の戦力は、当初の性能を発揮すれば十分連合国軍の脅威となる兵器ではありました。通常の航空機とは倍のスピードで飛んできて、そのスケールからレーダーにも捕捉しづらい兵器でもあったことから、本格的に運用されていれば、航空戦力で優勢を誇る連合国軍と言えども、多少の犠牲を強いられたであろうと言われています。

特攻専用機「剣」

本土決戦の主力となるのは、航空機による特攻作戦でした。航空機による特攻作戦は、かつての名機「零戦」はもちろんのこと、練習機「白菊」をも用いるもので、実際には特攻用の航空機として10,000機の航空機が日本本土に温存され、来るべき本土決戦に備えられていました。

しかし、10,000機を確保するには当然既存の航空機では不足することが明白になり、その結果、特攻専用機の開発が推進されることになったのです。

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国内に余剰になっていた旧式の航空機用エンジンや航空機の部品を活用して製造でき、大規模な工場で生産ができずとも、地方の小規模な工場や防空壕の中でも製造が可能なこと、木材やブリキなど、資源としてある程度確保できるものを用いることで設計が行われ、1945年1月の設計開始から5か月後、1945年6月にはテスト機の離着陸実験を行うまでに至ったのです。

この時、命名された機名は「剣」。飛び立つと車輪は再利用できるように投棄されるなど、まさに特攻のために作られた一撃必殺の特攻専用航空機であり、「剣」の一太刀で敵を倒すという思いが込められての命名だと言われています。

テストの結果は、離着陸能力に難がある、エンジンの性能にむらがあるために航続距離に難があるなど、さまざまな不備が生じていましたが、特攻専用機としての位置づけゆえにそれらの部分には目をつぶることになり、生産体制の確立が急ピッチで進められたのです。

終戦時には約50機分の部品が完成している状態で、実際に青森県の三沢基地などでは剣専用の部隊が編成されているなど、かなりの戦力として期待がされていたことがうかがえます。

 これらの特攻兵器とは別に、既存の兵器を用いた特攻作戦も進められていました。

陸上攻撃機で長距離の航続距離を持っていた「銀河」を用いて、B-29の基地となっていたサイパンやグアムに陸兵を載せて胴体着陸を図り、飛行場の運用を妨げる「義号作戦」は、実際に沖縄戦で成果を上げた作戦を拡大した作戦として計画されていましたが、1945年7月末にアメリカ軍の空襲を受けて。使用する飛行機が破壊されたこともあって、大規模な作戦としては未実施のまま、終戦を迎えることになりました。

そして、残された兵力のすべてと、国民の命を懸けて実施されていた特攻作戦。国民すべてに竹やりや包丁、なたなどを装備させ、上陸してきた敵兵を皆殺しにするように命じていた「一億総特攻」は、実際に行動に移されることもありませんでした。

 そして、特攻作戦の実施のために生まれた特攻兵器は、終戦を迎えたことで、その大半が実際に戦闘に用いられることもなく、無用に命を散らすような悲劇も防ぐことができました。

実際に1カ月でも戦争が長引いていれば、ことの結末はどうなっていたかと考えると、非常に寒気がします。

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