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アメリカ軍の上陸と本土決戦

2015年2月27日 黄昏入 ミリタリーの歴史

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太平洋戦争があのまま続けば必ず発生したであろう、本土決戦

実際は沖縄戦の後、1945年秋に予定されていた本土上陸作戦が実行に移される前に、終戦を迎えたわけですが、実際に本土決戦が起きていたら、どのようなことになっていたのか。

今回は、本土決戦の可能性と予測されるさまざまな状況を推察してみたいと思います。

アメリカ軍は二段階の作戦を計画し、日本本土に上陸する計画だったことは皆さんもご存知かと思います。

そもそも、この二段階作戦はどのように行われる予定であったのかを考察しましょう。

日本への上陸作戦

まず「オリンピック作戦」として、1945年11月に南九州と四国に上陸作戦を実施、1946年3月には「コロネット作戦」として関東に上陸する作戦が計画されていました。

オリンピック作戦では、後に行われるコロネット作戦を実施するために必要な、航空基地や艦隊宿泊地の確保が目的とされていました。

これらの地ならしができた時点で、関東地方に上陸し占領することで、日本の政治中枢を破壊し、大日本帝国の政治指導部を打ち倒すことによって、戦争を終結させようとしたのが、アメリカのプランだったのです。

「オリンピック作戦」を実行に移す際、アメリカ軍はまず最初に、九州南部の鹿児島に上陸し、南九州の制圧しようと考えました。

併せて高知県にも上陸し、陽動作戦を実施します。

この時、四国を占領し続ける意図はなく、近畿地方や中国地方から援軍を送り込もうとする、日本軍の動きをけん制する目的があったものと考えます。

この展開、日本軍は何度も遭遇している展開です。

ガダルカナル島やニューギニアで海上輸送作戦を行い、その輸送船をアメリカ軍に撃沈されることで、日本軍はかなりの戦力を海上で消耗しています。

また、アメリカ軍がフィリピンのレイテ島に上陸した時にも、日本軍は多号作戦と称した海上輸送作戦を計画し、ルソン島に温存しておいた陸上兵力を小出しにレイテ島に送り込むことを意図し、同様の作戦を行っています。

もちろん、制空権も制海権もない戦場での輸送は同じようにかなりの戦力を消耗し、失敗に終わっています。

これらの戦績を踏まえ、アメリカ軍は海上から日本軍が増援を送り込んでくると読み、増援を海上で撃破を計画、四国へ陽動上陸を行う意図があったとされています。

外堀どころか内堀も埋められた状態で、アメリカ軍のオリンピック作戦を迎え撃つ日本軍は、局地的な勝利さえも望めない危機的状況であったことは間違いありません。

決死の反撃

オリンピック作戦は、前述したとおり九州南部を占領すること、あくまで南九州のみの占領で、九州全土は占領しない意図があったのです。

それは、日本の支配地域を九州北部に残すということで、九州南部の日本軍に九州北部まで退路を残すことで、逃げ道を与える意図があったことはあまり知られていません。

これまでの戦闘で、追いつめた時の日本軍の実力は侮りがたい、決死の反撃をさせるまでに追い込むまい、というアメリカ軍の考えがあったのです。

実際、硫黄島では日本軍は死に物狂いの抵抗をし、過去の戦闘よりも数倍の死傷者を出すなど、それによってアメリカ軍が多大な損害を被ることになったのです。

沖縄戦でも執拗な抵抗にあい、軍司令官が戦死するなどの損害を受けています。

そのこともあり、「日本軍を追い詰めると何をするかわからない」という考えが、アメリカ軍の真意にあったのです。

また、沖縄戦の日本軍の配置を考慮すると、アメリカ軍は「日本軍の防衛体制が理解できない」「何をしてくるかわからない」という思いにも翻弄されていました。

実際、沖縄戦では、日本軍はかなり雑な防衛をしており、読谷・嘉手納という主要な飛行場を放棄しつつも、強固な陣地を首里に配置し、持久戦を試みるのかを思いきや、突然攻勢を仕掛けるなど、その作戦方針が「不可解」な事ばかりだったからです。

もし日本軍が死に物狂いで、アメリカ軍の上陸に抵抗しようとするのであれば、沖縄北部に向けてアメリカ軍を誘導し、局地戦に持ち込む布陣で臨むことで、いわゆるゲリラ戦に持ち込み、アメリカ軍を沖縄にくぎ付けにすることもできたはずです。

アメリカ軍は日本軍との戦闘で培った、様々な要素を踏まえたうえで、オリンピック作戦において、状況に応じた作戦を立案したのです。

アメリカ軍は九州に存在する日本軍部隊を完全に撃破するのではなく、確実に基地等が確保できる九州南部だけの占領に留めようとしたのです。

コロネット作戦

九州南部の占領できたら、九州南部の防衛に必要なだけの戦力を残留させ、飛行場確保をしたらコロネット作戦を行うため、航空攻撃作戦を九州南部を拠点として行います。

B-17やB-24などのアメリカ軍航空部隊は、九州南部より飛び立ち、近畿、中部地方まで可能な範囲を爆撃して、日本軍の戦力の消耗を図ります。

この空爆と並行して、アメリカの陸上軍は関東地方への上陸のために補充、整備を進め、これらの準備が整えば、アメリカ軍はいよいよコロネット作戦を実施します。

アメリカ軍が関東上陸を行うであろう事は日本軍も予測しており、日本軍は、長野県の松代に大本営を移すことを計画します。

日本軍は戦う前から撤退して、「天皇家」を守ろうとしたのです。

松代が危うくなった場合、天皇と共に満州へ大本営を移し、最後まで防衛作戦を遂行していく予定だったとも言われています。

ただし、日本軍上層部が退却戦のみを行うつもりなく、松代には強固な陣地を構築しつつ、「根こそぎ動員」と呼ばれる徴兵を実施し、15歳から65歳までの男子によって「決戦兵団」を組織し、房総半島や関東地方の海岸部に配置して、特攻作戦を本格的に実施するつもりだったのです。

発射台を設けてロケット特攻兵器「桜花」を出撃させる、海岸部の洞窟等に秘匿しておいた特攻艇「震洋」、2人乗りの特攻用潜水艦「蛟竜」などを配置し、アメリカ軍の上陸がなされた時点では、壮烈な特攻攻撃を行う予定だったのです。

実際、日本本土には約4000機の特攻機が秘匿されており、特攻専用の航空機「剣」などで構成された特攻機が、様々な特攻兵器と呼応してアメリカ軍に立ち向かうよう温存されていたのです。

アメリカ軍が上陸した際、日本軍が特攻による作戦を実施するであろうことは、アメリカ軍にも十分理解していました。

しかし特攻という自爆作戦行為は、当時のアメリカ軍の兵士には理解できるわけもなく、そのため特攻攻撃を受け、その有様を目の当たりにしたアメリカ兵は畏怖し、精神的に変調をきたす兵も多数存在していたのです。

ポツダム宣言の受諾

太平洋戦争の終盤、既に戦争の勝利を確信していたアメリカにとって、「いかに最小限の被害で日本を降伏させるか」がポイントで、長引かせることでアメリカ国民の厭戦気分が蔓延することを危惧していたのです。

本音を言えば、莫大な損害が予想される、オリンピック作戦、コロネット作戦を実施することはアメリカ軍にとって「避けたい」ことでした。

命を顧みらない特攻までして、執拗な抵抗を見せる日本軍を完全に屈服させるには、軍事力による抑えこみしか無かったのかもしれません。

広島・長崎に原子爆弾が投下され、日本政府はポツダム宣言を受諾して終戦を迎えます。

原爆が落としたことは決して許されることではないですが、このことを機にアメリカ軍の本土上陸が無くなったことも、歴史上の事実です。

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