国内最大級のミリタリー総合通販   商品数 11,321点レビュー総数 1,823件

カート

ミリタリーショップ レプマート

天才銃器設計者、ジョン・M・ブローニング

2015年4月15日 なみだめ 銃のはなし

この記事がお役に立ちましたら、シェアや、いいね!、ツイートをして頂ければ嬉しいです。

ジョン・モーゼス・ブローニング氏(John Moses Browning)は米国の銃器設計者です。

その才能は世界でも五指に入ると言われる天才銃器設計者であり、世界で始めて自動拳銃を作った人物としても知られています。

BROWNING_WITH_RIFLE

自動拳銃以外にも、レバーアクションのライフルや、ショットガン、ポンプアクション式ショットガン、ガス圧利用式の機関銃など、多くの傑作を世に送り出した人物です。

ブローニング氏が世に送り出した銃器の中には今尚、現役で活躍し続けるものもあり、その発想と技術力の高さが伺い知れるものになっています。

実際、関係の深かったFN社はブローニング氏が設計した機関銃の後継機種を考案するも、ブローニング氏が設計した機関銃の完成度が高かったこともあり、考案したものの実現はしなかったなどの逸話があります。更に2015年現在であっても未だに現役で稼動しているほどです。

また銃器本体だけでなく、多数の動作方式なども考案している人物で、現在の銃器に大きな影響を与えた人物でもあります。

ショートリコイルや、ガスオペレーションの実用化などもブローニング氏の大きな功績です。

ブローニング氏は、1855年にアメリカのユタ州北部、ウィーバー郡に位置する都市「オグデン」で生まれました。

父もまた銃技師をしており、母は二人(ブローニング氏の父はモルモン教徒で、当時のモルモン教は一夫多妻を認めていたそうです)、兄弟は異母兄弟含めとても多かったと記録されています。

兄弟の仲でも特に器用だったブローニング氏は18歳になる頃から父親の仕事であった銃の修理などを手伝うようになります。

その後、父親から店を引き継いだ後、24歳のときにレバーアクションの単発式ライフルを開発、特許を取得しています。

その後は結婚、父の死などを経て、父から受け継いだ店の経営方針を銃の修理に限定しつつ、ブローニング氏の開発したライフルを販売するという方式に移っていきます。

INSLV-1-17_Large

このライフル銃は当時、地元であるオグデンを中心に一定の高評価を得る結果となっています。

その後、ブローニング氏はいくつかの銃器メーカーへ設計を提供していきます。

ウィンチェスター社には、前述したレバーアクション式のライフルを初めとしたレバーアクション式の銃を提供し、その関係は1882年から19年間にも及びます。

しかし契約金の支払いに関することなどから両者の関係はこじれてしまい、最終的にはブローニング氏が開発したショートリコイル式の半自動ショットガンの設計を提案したところ、ウィンチェスター側が契約内容に対して一部を拒否し、両者の関係は終了します。

他にも軍用メーカーだったコルト社にも提供しており、主に提供した銃器は機関銃である「コルト・ブローニングM1895重機関銃」や自動拳銃「M1900」や「M1911」があります。

M1895重機関銃はそれまでの手回し式ガトリング銃と違い、発射時に発生するガスを利用した次弾装填機構の採用(コレが後のガスオペレーションの原型になります)とカウボーイたちが身に着けていたガンベルトにヒントを得た、弾帯を採用することにより、手回し式ガトリング銃を大きく上回る性能を発揮、ガトリング銃を過去のものへとしました。

またM1895の開発中には既に、ガスオペレーション式を拳銃に採用、自動拳銃の始祖となる銃を開発します。

しかし、これらの銃には反動が大きいというデメリットがありました。

それらを解決するためにパラレルローラーロッキング機構などを考案、特許を取得しています。

そして1900年にはコルト社から、米国内ではじめての自動拳銃として「M1900」が発売されます。

また、その後も開発を進め、後にブローニング式とも呼ばれることになる、ティルトバレル式ショートリコイルを搭載した、コルトガバメントの愛称で親しまれている自動拳銃、M1911を開発します。

特に自動拳銃のショートリコイルについては、非常に完成されたシステムということもあり、その後に開発される自動拳銃でも多く採用される方式の一つになりました。

ウィンチェスター社との決別とほぼ同時期には、ベルギーの銃器メーカーであるFN社とも関係がありました。

FN社は、当時噂になっていたブローニング氏が開発した自動拳銃について興味を示しており、関係者をオグデンへ派遣、M1900を入手しこれをFN社へと持ち帰り、社長に提出しています。

その後、FN社は当時M1900の製造権を取得していたコルト社と交渉、製造の許可を得たことによりFN社版M1900である「FN ブローニングM1900」をヨーロッパで販売しました。

FN社販売したM1900はヨーロッパで流通していたそれまでの自動拳銃と比べて小型かつ信頼性が高かったことや、ベルギー国内の陸軍が制式採用を決めたこともあり、ベルギー国内だけでなくヨーロッパ各国で大きなヒットを飛ばすことになります。

また、その際にはベルギー国内の工業に大いに貢献したとして、ブローニング氏は当時のベルギー国王より、勲章が贈られています。

その後もFN社とは関係が続いたこともあり、ブローニング氏は一家で、生まれ故郷であるオグデンを離れ、FN社に程近い土地に移住します。

ブローニング氏が設計し、FN社から販売された代表的な銃は、ブローニングM2重機関銃FN ブローニングハイパワーなどがあります。

特にM2重機関銃はアメリカ軍に制式採用され、現在でも各国で生産、配備が継続するほどの傑作です。

M2重機関銃は設計されてから、80年以上経過しているにも関わらず、費用に対しての構造、性能等から後継機種が現れていないなど、ブローニング氏の設計した銃器の中でも、完成度の高さが伺えるものの一つです。

重機関銃としては連射サイクルが遅いため、射手のトリガーコントロールでセミオート射撃をする事も可能で、中には高い精度を利用して「狙撃銃」として扱うスナイパーも存在しました。

狙撃銃として使用した際にもその完成度は申し分なく、元来長時間の射撃に耐えるために作られた長く重い銃身と三脚による固定、本体重量などにより射撃時の反動を大きく軽減出来ることに加え、12.7mmという大口径は射程、威力とも申し分なく、当時の狙撃最長距離を大きく上回る2,300mという記録を打ちたてています。

この記録は、35年後に対物狙撃銃が開発されるまで達成されることはありませんでした。

また、狙撃銃としての使用した際の優位性が着目され、12.7mmを超える大口径の対物狙撃銃の開発が開始されるきっかけにもなっています。

FN社販売したブローニング氏の代表的な銃としては、M2以外にもブローニングハイパワーがあります。

これは量産された自動拳銃として、初めて実用的なダブルカラムマガジンを採用した銃で、ハイパワーという名称は装弾数の多さから来ています。

ブローニングハイパワーは、ブローニング氏が他界する前に設計した最後の作品とされており、それ以前に開発した銃器の集大成とも言える作品です。

完成したのはブローニング氏が死去した1926年から8年後の1934年に、ブローニング氏の一番弟子でもあり後に「FN FAL」を世に送り出すデュードネ・ヨゼフ・サイーブ氏が完成させました。

作動方式はコルトガバメントと同等のティルトバレル式ショートリコイルで動作します。

最大の特徴は世界で始めての実用的なダブルカラムマガジンです。

ブローニング・ハイパワーでは当時一般的ではなかったシングルフィードのダブルカラムマガジンを採用しており、当時の一般的な自動拳銃と比べて装弾数が多かったという特徴があります。

コルトガバメントが当時シングルカラムで7+1発であったのに対して、ブローニングハイパワーは通常マガジンで13+1発、ロングマガジンでは20+1発という装弾数を持っていたことを考えると名称のハイパワーは伊達ではないようにも感じられます。

ブローニング氏はこのように現在の銃器の設計にも大きな影響を残した人物です。

ポンプアクションショートリコイル自動拳銃のダブルカラムマガジンなどは、どれも現在のスタンダードを担っています。

今後もブローニング氏が残した技術がどう進歩していくのか、これらを超える新たな動作は登場するのか、とても気になるところです。

ブローニング,


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です